「神様」という言葉を使うと、どうして「宗教ですか」となるの?

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日本では「神様」という言葉を使ったり書いたりすると、どうして眉をひそめるのでしょうか?神様と言うと決まった様に「何の宗教をやっているのですか?」と返って来る。それは少し怪訝そうな様な表情を伴って・・・。私は今まで一度も宗教団体というところに入った事はありません。しかしこの疑うような感じ・・・どうもオカシイと感じる時が多々あります。日本人は長い年月をかけて「神様」とは言ってはいけないマインドコントロールを受けたのでしょうか?(笑)

そんな時、私はその人にこう聞きたくもなるのです。「あなたは、お正月の初詣に行きますか?」と。すると「はい行きます」とか「よく行っていました」等と答えが返って来ます。どうして神社に参拝に行くのに、神様という言葉を言ったら怪訝そうな顔をするのでしょうか?あなたは、誰に会いに、何の為に神社に行っているの?(笑)「子供が生まれたら七五三はしますか?」「厄払いはしますか?」「会社で新年に神社に行きますか?」「家に神棚がありますか?」すると「はい」と答える人も多いのです。逆に、そんなあなたが私には不思議に映るのですが・・・。

海外では普通に「神様」と言います。“Oh my God” の直訳は、「あぁ、神よ!」“Oh my God” ではなく、”Oh, God…” と言う時があります。これは、どちらかと言うと落胆を表す時の方が多く使われる印象ですし「いや~参った…」「最悪…」「もう…」のようなニュアンスを表すことが多いです。

 ”Jesus!” は、ご想像の通り、「ジーザス・クライスト」つまり、「イエス・キリスト」を指しています。“Jesus.” だけで使うときもあれば、”Jesus Christ.” と言うときもあります。ある意味 ‘God’ よりも直接的な表現となるこの”Jesus!” や ”Jesus Christ.” は、場合によっては”Oh my God” よりも強い驚きや、時には怒り・呆れを表したりもします。

つまり、海外では神様に関する言葉は日常で使われているのです。そして多くの方がそれぞれの宗教の教会にも行きます。でも日本では「神様」という言葉さえ言う時に気を使わなければならない・・・。いつから日本は、こんな国になってしまったのでしょうか?完全に物理主義、拝金主義、目に見えるものだけを信じる国民になってしまった様にも思える時があります。本来の日本人の心さえ忘れ去ってしまったように見えます。悲しいですことです。

唯物主義の申し子となってしまったのでしょうか?人間の傲慢な思いが、今のこの冷たい社会をつくりだしているというのに・・・。目に見えるものだけ、科学を主に信じた結果が、今の世界とも言えるのです。目に見えぬものへの感謝【神様への感謝】や、先人たちへの敬いの心、全てのものへの謙虚さがあって、初めて人は人らしく生きれるのだと思いますがみなさん、私と同じように感じている人はいませんでしょうか?どうでしょう・・・?やっぱり、私だけが異端なのでしょうか?(^_^;)

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  1. トシ

    私もずっとそうでしたが神社へ行くのは願い事をする為で、
    願いが叶う様に病気や事故に遭わない様にとお願いするばかりで、
    神様へ「ありがとうございます。」と言う感謝の気持ちさえ持っていなかったと思います。

    普段の日常でも自分の都合を優先させ神様の前でも自分の都合を優先させる、
    多くの方が私と同じ様な生き方をしているのではないかと感じます。

    自分は騙されない様に損をしない様にと言う思いが、
    「神様」と言う言葉を怪しい宗教の様に感じさせているんだと思いました。

    これまで私は自分も他人も信じられない様な、
    冷たい生き方をして来たんだなぁと気が付きました。

    これからは神様への感謝そして目に見えないものへの感謝、
    周りに居られる方々へ感謝出来る様な生き方を心掛けます。

    ありがとうございました。

  2. 笑夢

    毎年お正月には初詣に行き、
    お祓いや子供のお宮参りや七五三などなど、
    神社に参拝に行く機会は、たくさんあります。

    それなのに、私も友達などとの会話の中で、
    「神様」という言葉を使うのに躊躇しそうだと思いました。
    例えば、子供の七五三のお参りの話題は、普通にするのに、
    それって本当におかしな事だと思いました。

    神社へ参拝に行っても、
    今年一年健康で過ごせるように、とか、
    子供が元気に育ちますように、とか、
    神様への感謝もなく、自分の頼み事だけをしていました。
    そんな心根は、本当に傲慢でした。

    神様への感謝、全てに感謝する心、そして謙虚な心があれば、
    目に観えるこの世界は、もっとあたたかい世界になりそうです。
    そんな心を持って生きていきたいです。

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