「この世は舞台、人はみな役者だ」
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「この世は舞台、人はみな役者だ」こう言ったのは、最も偉大な劇作家といわれるウィリアム・シェイクスピアです。『ハムレット』『マクベス』『オセロ』など、シェイクスピアの名作の数々は現在も上演され、その魅力は失われていません。[ウィリアム・シェイクスピア](16~17世紀イギリスの劇作家・詩人、1564~1616)このセリフは、英語ではこの様に表記されています。(『お気に召すまま』第2幕第7場より)
All the world’s a stage,And all the men and women merely players.
シェイクスピアの言った様に、私たちの人生とは『一つの舞台の様なもの』なのです。そして、そこに登場する人々は皆、役者でもあったのです。しかし、演じている筈の登場人物、つまり私たちが「上演している目的」を忘れてしまっている状態が今の姿だという訳なのです。これは本当に恐ろしい事です(^_^;)
つまり、役者が自分の『役目』を忘れ、舞台上でマジに生きてしまっているという何とも滑稽なものとなってしまっているのです。これが私達人類の姿だったのです。役者が「役の目的を忘れ」てしまって、舞台上で「エゴを爆発させ」て生きているのです。そんなものを見せられている方も、たまったものではありません。
そして登場する全役者同士「自我と自我のぶつかり合い」をしてしまっているというのが人類の姿だったのです。他人の悪口を言い、誰かのせいにばかりする。セリフを忘れたのならば役者という自覚もありますが、人間は役者だという事さえも忘れてしまったのです。
さて、この何とも情けない姿を神様はどう観ているでしょうか?神の元を離れてしまった事さえ忘れてしまった子供たちを見て、どう思っているのでしょうか?それでも親は、変わらずに「愛」だけで帰りを待ってくれているのです。放蕩息子の帰りを今か今かと待ち望んでいるのです。そして実は私たちは「神から離れて生きているという夢を見ている」のです。夢から醒めるのを待っているのです。
悪夢を見て、うなされ続けている!これが人間の姿です。たまに良い夢を見てホッとしたりもしますが、大抵は長続きはしません。また暗闇に入って行くのです。そして得も言われぬ不安の沼に落ちていくのです。
数は少ないもののその人生という舞台上にあって、「んっ!?何か違う様な気がするぞ」とか、人生に「違和感の塊しかない!」とか、「アレッ!?私は何の為に生まれて来たんだっけ!?」と、本来の生きる目的に少しずつ目覚めている人たちが増えてきているようです。
どんな役で舞台に上がっているのか?それは「この人生で私は何をなすべきなのか?」であり、どんな舞台なのか?とは大きな意味で「私たち人類の行く末であり、目的地」のことでもあるのです。
具体的に言うと「許せない人」がいるとします。それは「許すために生まれて来た」のですから、許せない思いを手放すことです。これが許せないと思っている人の宿題なのです。人生は舞台です。拍手喝さいのカーテンコールを頂けるように固執した思いという名のエゴは手放しましょう。
それらの大事な事に気づき始めた人が増えているという事に、私達も希望を見い出しています。そして、そんな人たちとヴィジョンは会いたいと、心から願っています。そして共に成長して行きたいと願っています。だからこそ一般社団法人 NEW VISIONを設立したという訳だったのです。素晴らしいあなたとお会い出来ますように♪
ヴィジョン / Vision
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今回の記事を読ませて頂きながら、もし神様が舞台監督だとしたらどう思われるのだろうか?
舞台上で役を演じている筈の役者たちがマジの恋愛や喧嘩をし始めたら本当にビックリされるだろうなあと思いました。
そんな役者たちに監督は「おいおい何やってんだ!そろそろ目を覚まさんか!」って仰るのではないかと思いました。
しかし舞台上の役者たちは自分が役者であることも忘れているので舞台監督の存在さえ忘れてしまって、
監督の声にも耳を貸さず舞台上でマジに生き続けてしまう!本当に凄く恐ろしいことです。
この世に生まれて親に名前をつけて頂いて私はその名を名乗りその人物として今まで生きて来ましたが、
この人生の舞台で、その名の役を演じる為だけにこの世に生まれて来た訳では無いような気がしています。
役を演じるとしても何かしっかりした「目的」があった筈だと思います。
それは何だったのか?思い付くこと感じることを書き出してみます。
それからヴィジョンさんが何故一般社団法人NEW VISIONを設立されたのか?
ヴィジョンさんの思いを教えて頂いてありがとうございます。
生きる目的に目覚めて本当の自分の役を生きることを、
本当の人生をスタートさせたら凄く清々しくて気持ちよ良さそうです。
頑張ります。
舞台の役者さんが「役の目的を忘れ」て、演劇をしている事も忘れて
相手に本気で腹を立てたり争ったりしているのを想像して思わず笑ってしまいました。
でも、自分もそんな役者の一人だとしたら笑っていられないかも(ー ー;)
これまで、少しでも良い人間になろうと努力してきたつもりですが、
死んだら全て終わりだと思うとそんな努力をしている事が時々虚しくなる今日この頃でした。
「本来の生きる目的」が存在するのだったらすごく嬉しい。
目的があるなら虚しく無くなるし、頑張れそうです。
aikoさん、コメントありがとうございます。
>舞台の役者さんが「役の目的を忘れ」て、演劇をしている事も忘れて
>相手に本気で腹を立てたり争ったりしているのを想像して思わず笑ってしまいました。
>でも、自分もそんな役者の一人だとしたら笑っていられないかも(ー ー;)
●舞台上で役者さんたちが、マジ喧嘩なんか始めちゃったら思わず笑ってしまいますよね(^_^;)
役者としての目的=人間の生まれてきた目的と置き換えたらどうでしょう?
だんだん、笑えなくなって来ますよね・・・。
どうしましょ・・・これは困りましたね。
・
>「本来の生きる目的」が存在するのだったらすごく嬉しい。
>目的があるなら虚しく無くなるし、頑張れそうです。
●「本来の生きる目的」がなければ、人生は無意味だという事になります。
そんな人間を神様は、果たしてつくるでしょうか?
無意味な訳はないのです。
意味があるのです。
生きる目的があり、その目的をクリアーする為に、人生で色々な事が起きているのです。
ですから、何が起きても、起きること全てに感謝しかないのです。
もっと、もっと♪人生を楽しみましょうね(^_-)-☆
ヴィジョン
ありがとうございます。
はっきりと「生きる目的はあります」と言ってもらえてとても安心しました。
色々な出来事が起こり経験を積む中で成長して、目的がクリアできるようになるという事でしょうか。
何だか生きている事がちょっと楽しくなってきました。
本来でしたら人生という舞台で、私たちは役を演じる役者であり、何かの物語を
演じる予定だったと思いますが、役者であることを自ら忘れてしまい
作っていただいた舞台を、わがもの顔で占拠して、誰もが自分が一番偉いと考え
自我をぶつけ合って、とても見苦しい舞台にしてしまっていると、自分を省みながら
想像しました。
人のセリフや、行動に感情的になってしまい、本気でキレてしまう今の自分では
舞台に立って演じる事は、とても難しいと感じました。
その為にも、日々のトレーニングで感情をコントロールしたり、恥ずかしいと
思うようなことにもチャレンジして、自分の役をこなせるようになりたいと
思います。
今回もとても素晴らしい記事を読ませていただき、ありがとうございました。