『夢を叶える為にしたこと!』神新二メッセージ(1)

夢を叶える

最近特にHPのお問い合わせコーナーに、こんな内容のリクエストが増えております。それは「代表理事 神新二メッセージ」に書かれている内容を、もっと掘り下げて詳しく教えて欲しいというものです。そこで 「代表理事 神新二メッセージ」 に書かせて頂いている内容について、その詳細プロフィールを書かせていただきたいと思います。お問い合わせをいただいた読者の皆様からのリクエストにお答えして行きたいと思います。という訳で要点をピックアップして3回のシリーズになると思いますが、どうぞお付き合い下さいませ。

私の今までの経験と、そこから導かれてきた学びとその思いをお伝えさせて頂くことが、きっと皆さまお一人お一人の人生にとって「何かのヒント」になる事があれば嬉しく思います。今まではなるべく表に出ないようにしておりましが、体験談を聞きたいというリクエストがとても増えてきましたので、少々戸惑いもありましたが頑張って書いてみますね。出来れば面白おかしく、そして楽しく書いていこうと思っておりますので、どうぞお楽しみ頂ければ幸いです。それでは「神新二プロフィール(1)」のはじまりです♪

代表理事の神新二(じん しんじ)には、子供の頃から持っていた『大きな夢が2つ』ありました。1つは、小さな頃から大好きだったプロレスの会社に入り、プロレスを愛するファンの方々に「大人になっても、プロレスファンだと言い続ける事が出来る様な業界にする事」でした。この子供の頃からの夢に向かって、初めて就職した新日本プロレス(株)の時から長年アイディアを組み上げていました。例えば、月一回興行スタイルやメディア戦略等、社会的な認知を得るための戦略を必死の思いでたった一人で悩み抜き、他業界の先駆者の方々に相談し、遂に理想とする新しい団体のプランを完成させました。そしてその自ら発案した「新生UWF構想!」を、独立することに尻込みしていたM選手たちの尻を叩き、ご協力者の方々等にお声掛けすると同時に、その独立プランを説明し協力を仰ぐということを秘密裏に必死に繰り返してました。共に独立を誓っていたM選手は、私の新生UWFの旗揚げの提案を一度断ったのですが、私は必死に動き、そして強硬し旗揚げにこぎつけたのでした。そして遂に自ら代表取締役に就任し「株式会社UWF(ユーダブリュエフ)」というプロレス団体を25歳の時に旗揚げする事が出来たのです。それからは大好きなプロレス業界を根底から変えたい!新生UWFを絶対に成功させる!という一心で死ぬほど働きました。

代表理事 神新二 プロフィール」より

神新二メッセージの中で、この冒頭の部分のトピックのテーマとしまして『夢を叶える為にしたこと!』を書いていきたいと思います。具体的には就職という事に関する内容になりますが、その内容は年齢に関わらず夢にチャレンジする為に必要なことがお伝えできると思います。私の初めての就職は、子供の頃からの憧れの会社であった新日本プロレスリング株式会社に入社するということでした。私は子供の頃から大のプロレスファンでしたので、アントニオ猪木さんの会社である新日本という憧れの会社に入社することでした。私は青森は五所川原市というド田舎で生まれましたので、まずは新日本という会社に入るために何をすべきかを考えました。まず先に「新日本に入社する」という結果を先に決めてしまって、その為の道筋をいろいろと考えて、それをすべての自分の人生の計画と目的とし実行していったのです。

新日本に入るためにしたことを列挙してみますね。まず会社は東京にありましたので「東京に住むこと」が必要でした。その為に「大卒という資格が必要」であるために、貧乏な家庭に育った私は高校の担任の先生にこう頼みました。「昼は自分で働き稼いで、夜に夜間の大学に行きたいので、東京で一番学費が安い大学を調べて下さい!」と。すると先生は東洋大学の夜間部というところを紹介して下さいました。本当は夜間ならばせめて早稲田や明治に推薦したかったようでしたが学費が高額なので却下させていただき、当時東洋大学の二部の年間の学費がナント12万円でしたので、それならば月に1万円づつ払えば大丈夫!よって、まずはその大学に先生から推薦状を出して頂き試験なしで合格することが出来ました。まずは第一歩、これで無事に「東京に行く」ことは叶ったのですが、問題は新日本という会社に入社の問い合わせをした時に「今は定員がいっぱいで新入社員は募集していない」と言われたことでした・・・。その当時新日本という会社は大人気で縁故入社だけだったようでした。

さて困りました。入りたくても募集さえをしていないとは・・・。でもここで諦めるわけにはいきません!そこで私は考えました。誰よりも新日本という会社に懸ける思いが強いということを伝えよう!と。その為にどうしたら良いかを真剣に考え抜きました。青森から出て来てコネも何も一切ないのですから、思いと行動力だけが勝負です。そこで毎月のように行われる新日本主催の首都圏でのプロレス会場には必ず行き、「履歴書と入社したいというラブレター」を社員の方に手渡すという作戦に出たのです。そのラブレターとは、当然入社したいという強い思いだけでなく、こうしたらもっと会社は素晴らしくなるのではないでしょうか?等という提案も沢山書いていきました。

それを実際に入社の夢が叶うまで、約2年続けたのです。「履歴書とラブレター」の枚数はなんと50通を超えていました!そして遂に念願叶いまして、新入社員を募集していないにも関わらず特別に入社の許可を頂いたのでした!それも当時のテレビ朝日から出向で来ておられたM専務さん直々のご許可を頂いての入社でした!それまで私は毎回違う社員の方を捕まえて履歴書をお渡ししておりましたで、実際に入社できた時には殆どの社員の方々が私の顔を名前を既に知って下さっていました(笑)。

そのラブレターに書いた「会社を良くするための具体案」も50以上の提案になっていました。約100個位の具体的なアイディアを提出出来ていました。その内容は会社内だけの変革に留まらず、業界全体を変えていきたいという内容まで含まれていました。ファンを代表しての改革案でした。実はこの詳細なプラン&アイディアこそが、その後自分で立ち上げた新生UWFにて行った数々の業界初のプランに化けていたという次第なのです。何一つ新日本では採用してくれなかったという悔しい思いが、新生UWFの旗揚げへの原動力となったという訳だったのです。すべて繋がっていたのです。振り返ってみると無駄な事は一つもありませんでした。

という訳で『夢を叶える為にしたこと!』とは、約50通の履歴書&変革のための論文、提案ラブレターを書いて渡したということでした。みなさん、いかがだったでしょうか?人生、やりたい事は何でも苦にはならないものです。そしてやりたい事、好きな事は、どんどんアイディアが湧いてくるものです。やりたい事へのチャレンジには、年齢も立場も一切関係ないのです。私は新生UWFという会社を立ち上げた時は、無一文から借金をしてのスタートでした。ですから、やりたい事を諦めずに頑張りましょう。勇気を持って一歩を踏み出して行きましょう。やりたくない事をやって死んでいく人生程、悲しくて虚しいものはありませんから。やらない理由をつけずに、まずはやってみよう!チャレンジしてみよう!心から応援しています。

ヴィジョン / Vision
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