世界中で問題は、なぜ解決しないのか?

世界中で問題は、なぜ解決しないのだろうか?
世界での事と同じように、我々一人一人の問題も同じくなぜ解決しないのだろうか?
次から次へと問題が湧き出て来る・・・。
社会でも、会社でも、家庭でも、個人でも同じように。
問題を抱えていない社会は存在しない。
問題を抱えていない人も存在はしない。
私たち人類は、まるで迷路で入り込んでしまったかのようです。
一時ある瞬間は良いように感じたとしても、また問題はやって来て、私たちの人生からは絶対に無くならない。
人生谷あり山ありとは言うものの、全人類それぞれに抱えている問題が必ずある。
どんなお金持ちでも、解決できない問題というやつが襲い掛かって来る。
どんなに名誉や地位がある人でも、全く問題を抱えていない人などいない。
どんな人にも、どんな社会にも、頭を抱えている問題がある。
そんな様子を客観的に見てみると、この世界はまるで「出口なし」の様に感じます。
この世界を一言で表すと「迷宮」なのでは?と言いたくもなります。
ではなぜ「世界の問題は解決できない」のでしょうか?
どんなにお金をかけても解決はしない。
どんなに知恵を絞っても問題は山積する・・・。
それは世界の問題は、「問題として世界は永久に保持し続ける」からです。
この世界とは実は「問題が次から次へと起こるシステム構造になっている」のです。
そして同時にその問題は絶対に解決しないという結論が出ているのです。
しかし私たちは、ここで問題を解決しようとしてきたのです。
そして今でも世界中でありとあらゆる分野で、様々な問題を解決しようとして来たのです。
でもそれは絶対に解決しない!というのに・・・です。
よって大きな意味で人類は何の進歩もなかったと言わざるを得ません。
いつまで経っても、世界から貧困はなくならず、戦争も無くなりません。
意図的にそれらを起こしている様にも見えます。
しかし意図的に起こしている人達も問題を抱えているのです。
よって私たち人類は退化しているかもしれません。
よって、このままでは問題は益々絶対的に解決はしないのです。
解決しないどころか、どんどんと真の道から遠く離れてしまっているのです。
このままでは、人類に逃げ場なんかありません。
このままではこの日本もこの先、増々生きづらい世の中になっていくでしょう。
まともな人ほど生きづらい世の中になっていくのは悲しい事ですよね。
当ブログで再三再四取り上げている様に、この世界はある意味「幻想」なのです。
この幻想の世に逃げ場はありませんし、当然出口もありません。
私たちのエゴが作り出したこの世界は、まるで無間地獄の様です。
出口が無いのは、経済でも、科学でも、政治でも、同じことです。
だから人類は一時的な喜びを求めたのです。
一時的な喜びの象徴がお金だったり、名誉や地位だったり、いけない薬に走ることだったり、諦めだったりします。
諦めとは問題には目をつぶり生きることです。
つまり羊のように問題を起こさない様に生きること。
しかしそれは結局は、マヤカシでしかありません。
なぜならば人間とは最終的に自分自身のことは裏切れないからです。
どんなに悪態をついたとしてもそれは、心の欠けた部分を埋めようとしているだけの行為なのです。
心の欠けた部分は、心でしか満たすことは出来ないのです。
しかしその欠けた心をどう満たして良いのかを人類は忘れ去ってしまったのです。
歌を忘れたカナリヤならぬ、愛を忘れた人間たち・・・それが私たち人類の今の姿。
でも、このままでは悲しすぎますよね。
「別の道」があるはずだ・・・
きっと別の道がある筈だ!
そう私も信じて約35年近くに渡って探し求めて来ました。
そして遂に「別の道」を見つける事が出来たのです。
その別の道について、このブログでは語って行きたいと思っています。
ヴィジョン / Vision
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