他人を疑う前に、まずは自分の事を疑ってみよう。

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私たち人間は疑い深い生き物です。例えば、この人は本音を言っているのだろうか?とか、顔で笑っているけれど本当は腹ではどう思っているのだろうか?等と考えたりしてはいませんか?きっとそんな事ありますよね。人間は他人を疑うプロなのですが、自分の事は疑わないものなのです。あなたはどうですか?

でも私たちは間違いを犯さないほど、立派ではありません。他人の事をとやかく言えるほど聖人君子ではない筈ですよね。でもしっかりと「他人を疑う」のです。つまり裏を返せば「自分の事は疑わない」という生き方をしているのです。これって我がままの極みではないだろうか?

これって・・・どういう事でしょうか?他人を疑ったり、他人の事をとやかく言えるほど立派ではないと言いながら(汗)、人に心はなかなか開きません。他人を見たらどろぼうと思えでは、こうなるのも致し方ありませんよね。他人を疑う生き方とは、とっても傲慢な生き方ではないでしょうか?

自分の勘違いでカッとなって大きな声を出してしまったり、一方的に思い込んでしまった事もあるかと思います。後になって赤面したり、もしくは全く自分の勘違いだという事を気付けないこともありますよね。ですから、まず他人を疑う前に、まずは自分の事を疑ってみる事はとっても大事な事なのです。

「もしかして・・・間違っているのは私の方かも?」

自分を疑える人は、大人です。人間は誰もが、自分は正しいというスタンスで生きている。しかし、本当の大人とは「自分を疑える人」の事を言います。これが本当の「相手の立場になって考える」という事にも繋がるのです。上から目線では相手の事は絶対に分かりません。自分が正しい、あなたが間違だと生きていたら、お相手と衝突するか、もしくは心が病むかのどっちかしかないのです。

「もしかして・・・間違っているのは私の方かも?」

こう思える人は、素晴らしい人です。

謙虚に生きれる人はとっても美しいと思います。

ヴィジョン / Vision
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  1. ナオさん

    はじめまして、ナオさんと申します。
    ランキングからきました。
    「もしかして・・・間違っているのは私の方かも?」このように考えて行動しています。
    ただ、そう考えすぎて行動できなくなることもあります。
    「お相手と衝突するか、もしくは心が病むかのどっちかしかないのです。」そうです、そうなるより
    よいと考えての行動になりました。

    昔は、自分が正しいと考え衝突ばかりでした。
    子供だったなとおもいます。

    • Vision

      ナオさんへ

      コメントありがとうございます。
      ナオさんの言う通り、強く出るか?弱く受けるのか?
      全く違うベクトルの様に一見観えるのですが、実は同じなのです。

      なぜならば、どちらも「自分を正当化しようとしている」からです。
      強く出るのが嫌で、我慢してしまう・・・。
      これでは心が病んでしまいますよね。

      攻撃も防御も、同じレベルなのです。
      どちらも、笑顔にはなれませんよね。
      我慢も同じことなのです。

      自分の心を変えていく事だけなのです。
      その為に、お相手が存在してくれているからです。
      またコメントお待ちしておりますね(^_-)-☆

      Vision

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