あなたにとって「強い人」とは、どんな人?

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あなたにとって「強い人」とは、どんな人の事を言うでしょうか?喧嘩が強い人?それは、単に威圧的で力が強いというだけで、暴力的な人という事ですね。肉体に囚われてはいけません。では「真の強さを持ち合わせた強い人」とは、一体どういう人なのでしょうか?そして「本当に強い」とは、どういう人の事を言うのでしょうか?本日は、そんな『真の強さ』について考えてみたいと思います。

喧嘩が強いのも、口喧嘩が強いのも、押しが強いのも、単に肉体的もしくは精神的に暴力的なだけで真の強さとは無関係なことです。しかし、多くの人は真の強さが何なのか分からないから見掛けの強さに走ったりします。だから最近の売れる車も流行りはオラオラ系。いかつい顔の車が人気です。これも形だけに目が行くという一つの表れだと思います。

世間では、自我が強い人や押しが強い人が目立ったりします。しかし、それは真の強さとは無関係です。というよりも、エゴの強い人は一見強そうなのですが実は「弱い人」なのです。強がるというのは、単に弱いという証拠の表れなのです。一見、押しが強いと強そうに見えます。しかし、押しが強いと自分に跳ね返ってくる風当りも当然強くなります。すると、自分に反発する人に対して構えるようになります。身構えて生きることほど、息苦しいものはありません。強そうにしている人ほど、実は内面ではビクビクして生きているのです。自分に降りかかる火の粉の元は、自分がつくったものだったのですが・・・。そんな人が強いはずはありませんよね。

本当に強い人は、心が強い人の事を言います。心が強いのですから、強い人は威張る必要も、威嚇する必要も、オラオラする必要も一切ありません。強がるのは実は怖がっている証拠なのです。弱いから強がる必要があるのです。ですから本当に強い人というのは、いつでも自然体。いつでも笑顔。いつでも優しく、いつでも自分のエゴを出さずに、いつでも慈しみの心を持って、相手に接することが出来る人の事を『真の強い人』と呼ぶのだと思うのです。人が傍にいて安心できる人、理屈なしに愛深い人、一緒にいて幸せになるような人の事を言うのだと思うのです。

では、どうすればそんな心の強い人になれるのでしょうか?それはやはり『正しい心』で生きる事。正しい心で在り続けるという努力することが大事になります。エゴまみれでやましい心や、邪な下心があっては、あだ花が咲くだけの事になります。自分だけ良ければというのも、間違った心ですよね。ですからやはり、正しい心へのアクセスはテクニックだけでは通れないものなのです。自分が!という自己主張が消えた時、あなたの内面にある真の強さと初めて出会えるのではないでしょうか。あなたの心の中にこそ、真の答えがあるのです。

ヴィジョン / Vision
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