カルマって、あるの?ないの?

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カルマって、あるの?ないの?
カルマは、あるのでしょうか?それともないのでしょうか?
ではまず「カルマとは一体何なのか?」を見ていきたいと思います。
カルマ(業)とは、
サンスクリット語では「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳される。カルマは「過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる。
もっと具体的にいうと「前世から持ち越してきてしまった課題」だったり、
「前世で深く傷ついたことで今世にまで影響があること」という事を言います。
もともとは輪廻転生と関連し「結果をもたらす行為」と言う意味なのです。
つまり「やった分は返ってくる」という考え方です。
良いことも悪いこともです。
あなたはどう思いますか?このカルマ…。
カルマはあるのでしょうか?それともないのでしょうか?
では先に答えを言いますとカルマがあるか?ないか?
カルマはあるのです。
例えば悲惨なニュースが毎日報道されているのも同じカルマの原理なのです。
例えば「AさんがBさんを刺した」というニュースが流れているとします。
すると「Aさんは酷い!」という報道になります。人間じゃないと…。
当然、視聴者も同じようにニュースを見て感じると思うのです。
しかし真実はちょっと違うのです。
今回の人生で「AさんがBさんを刺した」という場面だけをみたら確かに酷いAさんという事になります。
それは否定しませんが、しかしそれだけではないのです。
このニュースには続きがあるからです。
このニュースだけでは片手落ちなのです。
どういう事かと言いますと、前の人生でAさんとBさんは実は反対の事をやっていたからです。
つまりいつから前世では「BさんがAさんを刺していた!」のです。
起きている事に偶然はないからです。
本当は、実はここまで報道しないとフェアではないとも言えるのです。
なぜこんな事になっているのでしょうか?
それはこの世界は極端に言うと「やるかやられるかの世界」なのですから。
なんだか、やくざ映画の様な世界ですよね…。
なので私たちは、この悲しみと恨みの無限ループから抜け出す必要があるのです。
やったやられたの世界、やられたらやり返すような世界からの脱出です。
罪の擦り付け合いという悲劇的な世界からの脱出ゲームの様です。
これを二元からの脱出と言います。
私たちは善と悪と立場を変え、役柄を変えて生まれ変わりしているだけなのです。
貧乏人役とお金持ち役、男役と女役、旦那役と女房役、支配者と支配される側と…。
シェークスピアの言うとおりでした。
「この世は舞台、人はみな役者だ」そのものなのです。
殴られた!悪口を言われた!にらまれた!だからあいつが悪い!だから反撃をする…。
そんな人生から抜け出す時なのです。
もういい加減…疲れたでしょ…。
これを目覚める、覚醒、悟ると言ったりもします。
無限地獄のような悲しみのループから抜け出す必要があるのです。
赦すことです。
罪悪感の投影を止めるのです。
本当の大人になる事が求められているのです。
だってあの人が酷いことをしたんだもん!!
これは子供のセリフだったのです。
なぜならば前回あなたが同じことをAさんにしたのですから…。
つまり、前回の人生でクリアできなかった事柄がまたやって来るのです。
人生RPGゲーム状態なのです。
クリアするまで続くのです。
だから他人に変われ!と言う前に、自分が変わるだけのことだったのです。
でも相手を赦すという事は大変な事ですよね。
でもやっぱり相手を赦し、自分をも赦すということなのです。
なぜならば、この世はエゴの心の投影場所だからです。
映画館のスクリーンと同じ結果の世界だからです。
あの映画が許せない!
あの場面のあの主人公が許せない!と映画館を出てまで言わないですよね。
一生かけてまで言わないですよね…。
これと全く同じことなのです。
起きた事を赦すことは土台無理な事ですが、この世の本当の姿は夢の中。
起きていない幻想の世界。
起きていないのですから、私たちは赦せるはずなのです。
カルマも幻想だったのです。
新しい原理を身に付けるには何事もトレーニングです。
反発したくなるような時もあるでしょう。
なぜならば真実というものには、いつでも反発したくなるものなのです。
その反発したくなる様なところを超えた場所に、安らぎの場所があるのですから。
ヴィジョン / Vision
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