この世は地獄か?学びの為の教室なのか?どっちなの!?

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この世は地獄か?はたまた、学びの為の教室なのか?どっちなのだろうか?それにしても日々のニュースを見ていると、まるでここは地獄の様にも思えてきます。世界一安全な国と言われるこの日本でさえ目を覆うような事件や事故、そして様々な不祥事までが連日報道され起きています。安全と言われる日本でこんな感じだったら、第三世界と呼ばれる国々の治安はどうなっているのでしょうか?生きる事さえ難しい国や、犯罪が絶えないという国などが世界には沢山ありますよね。そういう目線で観た時に、まるでこの世界は地獄そのものにも映ります・・・。

しかし一方では、こんな見方も出来ます。もう一方というのは「私たちは学びの為にここにいる」という見方です。魂の学びと表現すればいいのでしょうか?つまり「この世は、学びの為の教室なのだ」と。

そしてもう一つ大事な事があります。それは目の前に広がっている世界は、自分たちの心の投影なのだという事です。つまりこの世界は、私達人類が作り上げた映画のようなもの、それがこの世界なのだた・・・。人類全体の心の集大成という映画を毎日見ている様なもの。だからこそ、この投影している結果としての世界を変えようとしても変わりません。映画のスクリーンを変えようとしてもストーリーが変わらないのと同じことです。

つまり、スクリーンに映った映画の内容を変えたい(=世界を変えたい)と思ったら、スクリーンに映し出しているフィルム(=人々の心)を変える必要とあるという事に気が付くこととなります。つまり、人類の心が変わらないと世界も変わらないのです。でも私たちは「人の心を変える事は出来ません」ので、「変えるのは自分の心」という事になるのです。自分の心を変える事で、世界を変える事は出来ないかもしれないが「世界をどう感じるか?」を変える事が出来るのです。

例えば私たちの「心のフィルム」に汚れが付いていたら、何を見ても世界が汚れて見えるのです。メガネやサングラスが汚れていたら、見える世界が汚れて見えるのと同じ原理です。メガネが汚れていたら、メガネ拭きで綺麗にしますよね。同じように自分の心のフィルムの汚れを綺麗にする必要があるという訳なのです。ご理解いただけたでしょうか?

しかしこれが言うが易し行うは難しですよね。でも一つだけ確実に言える事は、それを誰かのせいにしても何も変わらないという事です。誰かのせい、世の中のせい、嫌いな人のせい・・・それは何の解決策にもなりません。自分を変えるのみ!これこそが不変の真実なのです。自分を責めることなく、客観的に自分を見つめ、自分を赦し、相手も赦し、そして自分を変えていく。これで初めて優しい愛に生きる事が出来るのだと思うのです。

ヴィジョン / Vision
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