走り続ける電車のオモチャに、人生の悲哀を観る・・・。

Train vs. Robot – Main Application (1分18秒)
走り続ける電車のオモチャに、人生の悲哀を観る・・・。そんな思いにもなる動画です。まずはご覧ください。
ロボットの技術の精巧さも素晴らしいのですが、必死に走り続ける電車がどうも人間に思えて来てしょうがないのです(笑)擬人化してしまいます。つまり電車本人は、ただただ決められたレールの上を一生懸命に走り続けます。突然レールを敷かれて、走りなさいと言われなくてもそこにレールがあれば、ただひたすらに必死に走りつづけます。楽しい映像の中に、悲哀を感じ何か少しだけ悲しくなります・・・。
そして例え、突然向きを変えられても文句も一つも言わず、ひたすらに走り続けます。文句も言わずに走る続ける、その姿に人間の悲哀を感じざる得ません。この映像の様に、人類の社会とは「レールを敷く方」と、「敷かれたレールの上を走り続ける方」と、二つの生き方があると思うのです。別の言い方をすれば、ポジティブとネガティブ!もしくは、能動的と受動的な人生です。
自分の人生です。それも、今と言う人生はたった一回しかない貴重な人生です。何かを諦めても良いのですか?と、ヴィジョンは皆さんにお伺いしたいのです。もし、あなたに夢があるなら、その夢をしまっておいてそれで良いのですか?その夢や希望に蓋をして、見て見ぬふりをしてあなたが死ぬその瞬間に後悔はしませんか?もし、後悔するかもしれない・・・そう思ったのなら、あなたは『あなたの夢へのレール』を自分で敷くべきだと思うのです。自分で敷いて良いのですよ。
今までは誰かがレールを敷いてくれた、その上を走ってきただけだから、文句も出るのです。自分が夢への懸け橋となるレールを敷き始めたのならば、もう誰のせいにする事も出来ません。つまり、とても清々しい人生がスタートする事となるのです。それこそが生きているというダイナミズムを体験できる舞台なのです。いつでも誰かがやってくれている、そのレールに甘えていてはいけません。レールは自分で敷くものですし、本当に敷いて良いのですからね。
ましてや他人の為に生きたい!と願う者ならば、レールを敷く努力を額に汗してすべきだと思います。その努力をする事により、観えてくるものが必ずあります。あなたは、本当は真っ白なキャンパスに色を書いていく様な、そんな本物の自由を求めている筈なのに、どこかで「人生とはこんなもの」と諦めてはいませんか?諦めたら、人生はそこでSTOPしてしまいますよ(^_-)-☆勿体ない人生にしないで下さいね。
ヴィジョン / Vision
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ヴィジョンさん、こんにちは。
いつも興味深い動画を紹介して下さって、ありがとうございます。
レールの敷かれた方へひたすら走っている電車(最後は箱に片付けられてしまうのですね^^;)を見ていたら、
「おいっ、それでいいのか⁈」と思わず言いそうになりました。
でもこれって自分の事かもしれないです。
自分に「おいっ!」って言わないといけないですね。
なっち
なっちさんへ
コメントありがとうございます^^。
>レールの敷かれた方へひたすら走っている電車(最後は箱に片付けられてしまうのですね^^;)を見ていたら、
>「おいっ、それでいいのか⁈」と思わず言いそうになりました。
そうですよね。本当に「それで良いのか?」
あなたの人生、それで良かったのか?って言いたくなりますよね!(^^)!
一生懸命馬車馬の様に走る・・・それはそれで素敵な事なのですが、
何の為に走るのか?なぜ、そのレールの上を走っているのか?が問題ですよね。
自分の人生です。自分で自分に聴くべきだと思うのです。
そして、ここだけは決して「諦め」や「いい加減」にはして欲しくないところ。
ここだけは「適当」にしていたら、「しょうがない」と言っていたら、
必ず死ぬ時や、死んでから後悔することになるのだと思います。
そんなメッセージと共に、ブログ記事をアップしてみました。
ヴィジョン
ヴィジョンさんへ
ヴィジョンさん、お返事をありがとうございます。
目の前の事に追われているような日々は、ちょうどこのおもちゃの電車のようですね。
自分で敷いた訳じゃないレールだけど、何も考えずにいられるのは楽だし慣れているから安心で
その代わり、夢なんて叶えられなくても「しょうがない」と「諦め」たり
これ位でいっか、と「適当」「いい加減」になってしまっているという事で
だからこの電車にそんな自分が重なって、哀しさを感じるのだと思いました。
何かすっきりせずイキイキ生きられないのは、勇気を出して自分でレールを敷かずに楽をしているからですね。
一度立ち止まって、どっちを選ぶのか真剣に自分に聴いてみます。
ありがとうございました。
なっち