自我と自我のぶつかり合いは、必ず悲劇を生む。

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自我と自我のぶつかり合いは、必ず悲劇を生みます。

「俺が!」「俺が!」「私が!」「私が!」は衝突するだけ。

衝突するとイライラしていきます。

そして、衝突した相手を許せなくなる。

そして、心が荒れて益々激突していく。

また悲劇が繰り返されていく。

これは、夫婦間でも社内でも友人間でも同じことではないでしょうか?

そして、経済でも政治や国家間でも同じことです。

このやり方では、絶対に幸せにはなれません。

お互いに自分を正当化させようとすると必ず歪が生まれます。

言葉の暴力、心と心の争いを生むだけです。

もし万が一、一方が勝っても必ず一方は負ける訳です。

これでは勝っても、負けても、嫌な気持ちは残ります。

その嫌な気持ちが、この世界に投影されて現象化していくのです。

この悲しい無限ループから出たいと思いませんか!?

それとも、いつまでも誰かと何かと戦って生きていく道を選びますか?

自我を通そうとするとき、エゴを通そうとするとき、

自分を正当化はしたいけど、自分は傷つきたくない。

これを言い換えると「相手を傷つけても構わないが」自分は傷つきたくない。

なんと傲慢な生き方でしょうか?

お互い、みんながほぼほぼ同じように考えてはいませんか?

人間は、怖いから攻撃する。

人間は、怖いから悪口も言うのです。

これでは、お互い最終的には血を見るだけの事。

行きつく先は悲劇しかありません。

では、我慢をすればよいのでしょうか?

我慢しても、心から血を流していては同じこと。

自分を正当化させようとしている内は、観えてはこない。

相手を罪人としようとしている内は、感じられないものがあります。

でも、このままじゃ嫌だ!と思い始めた時から動き出します。

さぁ、この無限ループから脱出しませんか?

脱出の道はあります。

相手を赦す事。

自分を許す事。

相手を責めない事。

自分を責めない事。

大きな愛だけが、悲しみの無限ループから脱出させてくれるのです。

自我・エゴを超えたところに、真の生きる意味があるからです。

新しい自分に会いに行くことが可能なのです。

ヴィジョン / Vision
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