自我と自我のぶつかり合いは、必ず悲劇を生む。
☆ ☆ ☆
自我と自我のぶつかり合いは、必ず悲劇を生みます。
「俺が!」「俺が!」「私が!」「私が!」は衝突するだけ。
衝突するとイライラしていきます。
そして、衝突した相手を許せなくなる。
そして、心が荒れて益々激突していく。
また悲劇が繰り返されていく。
これは、夫婦間でも社内でも友人間でも同じことではないでしょうか?
そして、経済でも政治や国家間でも同じことです。
このやり方では、絶対に幸せにはなれません。
お互いに自分を正当化させようとすると必ず歪が生まれます。
言葉の暴力、心と心の争いを生むだけです。
もし万が一、一方が勝っても必ず一方は負ける訳です。
これでは勝っても、負けても、嫌な気持ちは残ります。
その嫌な気持ちが、この世界に投影されて現象化していくのです。
この悲しい無限ループから出たいと思いませんか!?
それとも、いつまでも誰かと何かと戦って生きていく道を選びますか?
自我を通そうとするとき、エゴを通そうとするとき、
自分を正当化はしたいけど、自分は傷つきたくない。
これを言い換えると「相手を傷つけても構わないが」自分は傷つきたくない。
なんと傲慢な生き方でしょうか?
お互い、みんながほぼほぼ同じように考えてはいませんか?
人間は、怖いから攻撃する。
人間は、怖いから悪口も言うのです。
これでは、お互い最終的には血を見るだけの事。
行きつく先は悲劇しかありません。
では、我慢をすればよいのでしょうか?
我慢しても、心から血を流していては同じこと。
自分を正当化させようとしている内は、観えてはこない。
相手を罪人としようとしている内は、感じられないものがあります。
でも、このままじゃ嫌だ!と思い始めた時から動き出します。
さぁ、この無限ループから脱出しませんか?
脱出の道はあります。
相手を赦す事。
自分を許す事。
相手を責めない事。
自分を責めない事。
大きな愛だけが、悲しみの無限ループから脱出させてくれるのです。
自我・エゴを超えたところに、真の生きる意味があるからです。
新しい自分に会いに行くことが可能なのです。
ヴィジョン / Vision
▼記事更新の応援クリックをお願いします▼
この記事へのコメントはありません。