自分のエゴから抜け出さない限り、心の底に横たわる憂鬱は消えてはくれない!

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自分のエゴから抜け出さない限り、心の底に横たわる憂鬱は消えてはくれないのです。例え気分転換をしても、お酒を飲んだりしても、旅行に出かけたりしても、一時は忘れて心が晴れたような感じがしても、あなたは必ずこの「憂鬱」へとまた戻って行きます。それは、憂鬱からの脱出が人生の課題だからです。だから、また戻ってきてしまいます。心がスッキリと晴れ渡ってはいないから・・・。

人間は、この「エゴの奴隷」と化しているのです。自分の中に在るエゴです。外から襲って来るものではありません。あなたが育てたエゴです。そして人間が100人居れば、100人の正義があります。自分なりの正義です。つまりは、エゴに犯された正義です。これでは、いくら意見を戦わせても交じり合いません。だから妥協を憶えたり、忍耐をするのが大人だという間違った一般常識の様になってしまうのです。妥協・・・それでは何の解決にもなってはいませんよね。益々心に霧がかかるばかりです・・・(^^ゞ

自我の奴隷と化しているのは、自分でした。世の中のせいではありませんでした。自分が自分を奴隷状態にしているだけなのです。社会の奴隷なのではありません。それは「自分が自我=エゴに犯されているから奴隷」なのです。それを、あなたの周りに投影しているだけの事だったのです。あなたが映画のフィルムで、社会が映画館のスクリーンだというだけの事なのです。だからこそ、社会を変えようとしてスクリーンと戦っても何の結果は得られないのです。だから『自分のエゴから抜け出さない限り、心の底に横たわる憂鬱は消えてはくれない!』という訳なのです。

ヴィジョン / Vision
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  1. ロイ

    大好きなお酒を飲んだり、旅行に行ったりして、一時的に心が晴れても
    すぐに憂鬱に気持ちになっておりました。
    その原因がエゴから抜け出せていないからとお聴きし、なるほど!
    と思いました。
    知らず知らずのうち、自分が育てて、自分の中に在るエゴの奴隷となり、
    エゴゆえに調和とは程遠く、周りと争いを起こすばかりで、その決着も
    我慢や、妥協で誤魔化して、原因の解決からは遠ざかっておりました。
    自分が奴隷状態であることは感じておりましたが、その原因は周りや、社会に
    あると思い、自分を疑う事はありませんでした。
    自分にとっては、まずここを認める事が一番かなと思いました。
    そして、自分が映画のフィルムで、社会が映画館のスクリーンだけという事、
    そして、社会を変えようとスクリーンと戦っても、何の結果も得られないこと
    を理解できる様になりたいと思います。

    またひとつ自分の知らなかった、自分の事を知る事が出来ました。
    ありがとうございました。、

  2. しおり

    何となく、「憂鬱」は心の中にあるのが当たり前で、
    一生付き合って行くもののように感じていました。
    「エゴの奴隷」になっているから憂鬱が消えてくれない。。
    エゴと憂鬱を結び付けて考えた事がなかったけれど、本当にそうだという気がしてきました。

    「エゴ」って、“こうじゃないと嫌だ、許せない!”という思いのようなものでしょうか。
    その場を丸く収めるために、我慢したり妥協してその思いを引っ込める事はあるけれど、
    憂鬱な気持ちになるし、ヴィジョンさんの書いて下さったように根本的には何の解決にもならないですよね。

    『自分のエゴから抜け出す』にはどうすればいいんだろうとずっと考えています。
    エゴから自由になってみたいです。

    しおり

  3. トシ

    自分なりの正義と言う言葉にハッとさせられました。

    考えてみると「それは間違っている」「これは、こうあるべきだ!」などと、
    思っていることが自分の中に沢山あるなぁと思いました。

    相手を認められない自分の偏った価値観!正義感!
    それを相手に振りかざしてしまうこともよくあることでした。

    自分の正義感を表に出さなくても心の中では相手を認めず自分は正しいと、
    自分の価値観の殻に閉じ籠っていました。

    自分の殻それもエゴで殻から出れない自分は正にエゴの奴隷なんだと思いました。

    自分のエゴから抜け出す為に自分なりの正義、自分の思い込みを壊していきます。

    何かとても大切なことに気付かせて頂いてありがとうございました。

  4. ガラスの林檎

    今まで自分が正義だ!と思っていた事が、
    「エゴに犯された正義」だったとは、夢にも思っていませんでした。
    それぞれの人間が、エゴに犯された正義を振りかざしても、
    どこまでも平行線のままですね。

    普段表面上だけで、争いは嫌いだと平和主義を装い、
    相手の意見に合わせたようにしてしまうような事も、
    実は、自分で妥協したり我慢をしたりしているだけでした。
    心の霧のようなもやもやの正体が、何となく分かりました。

    このブログの色々な記事を読ませて頂いているおかげで、
    私が映画のフィルムで、私の周りのスクリーンに投影しているという事、
    日頃過ごす中で、こういう事かな?そういう事だったのか!
    と少しずつ理解させてもらって、
    今は、スクリーンと闘っていた自分の姿がとても滑稽に思えます。
    エゴの奴隷から抜け出したいと思います。