人の悪口を言っても、絶対に心は晴れないのです。

怒り 悪口

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人の悪口を言っても、絶対に心は晴れないものなのです。

悪口とは、一時の自己満足をもたらすだけの事だからです。

悪口は一方的に自己正当化するだけの事だからです。

そして悪口を言ったその後に残るのは、確実に「嫌な気持ち」だけなのです。

悪口では、決して自分を正当化する事はできませんし幸せになる事も出来ません。

怒りは怒りを呼び込むだけだからです。

悪口は悪口は呼び込みます。

まさしくブーメラン状態です。

相手への怒りのブーメランは、自分の心に刺さるのです・・・。

お互いに傷つくだけなのです。

そして、また恨みのブーメランを投げ合うだけなのです。

そして自分が正しいという事を証明しようとすると人は何でもするのです。

なぜなら、それは「エゴ」だからです。

エゴのエネルギーに、容赦という文字は在りません。

エゴは自分の為ならば裁判も起こすし、時には殺人でも、何でもします。

エゴはどんなに自分を正当化しようと、それはやっぱり「へ理屈番長」止まりです。

エゴは、絶対に自分のエゴにしか従いません。

他人が何を言っても、全く聞く耳を持ちません。

エゴとは、醜いものなのです。

私は、それとは全く逆の生き方をしたいと願っています。

例えば感謝は、感謝を呼び込みます。

ありがとうは、ありがとうを呼び込むのです。

そしてお互い様は、お互い様を呼ぶのです。

自分が悪いと思えば、ごめんなさいで良いじゃないですか・・・。

相手の気持ちを感じたら、ありがとうで良いじゃないですか・・・。

例え、そんなに都合よく返って来なかったとしても、それでも良いのです。

相手に要求する心は、幼い心だからです。

相手に要求するとは相手に「感謝しろ!」と言っているのと同じことです。

それは傲慢な態度、傲慢な生き方ですよね。

これでは、悪口を言っている人と余り変わりはありませんよね(^_^;)

悪口を言わない自分の心は、確実に穏やかなのです。

人と人は傷つけあう事は簡単です。

しかし、それは悲しみしか残せないのです。

でも人間は、相手をゆるすという力も持っています。

私は、この「ゆるす、赦す」という生き方をしたいと願っています。

私達は、いつでもどちらの生き方を選ぶのか?だけなのです。

いつでも、選択肢はあなた自身にあるのです。

誰かがあなたを傷つけた様に感じても、それは真実ではありません。

本当は、誰もあなたを傷つける事は出来ないからです。

あなた以外に、あなたの事を傷つける事は出来ないからです。

不平不満を捨てよう!

他人のふり見て我がふり直そう。

これが、古くからあるこれからの新しい生き方。

私は、いつでも自分にそう言い聞かせて生きたいと願っています。

ヴィジョン / Vision
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  1. キイチ

    私は相手を悪者にして自分を正当化する様な生き方をずっと続けて来ました。

    実際に口では悪口を言わないにしても心の中では文句ばっかり言っていました。

    そんな自分が嫌で自己嫌悪に陥って今度こそは自分を変えようと何度もトライす続けて来ました。

    今もカッとなってしまうと自分は正しい攻撃をしてしまう時が多々あります。

    それでも自分も悪口を言うエゴの自分より感謝できる自分に成りたいので、
    これからも悪口を言うエゴの自分を変える為に素直に自分の非を認めて、
    「ごめんなさい」そして心から「ありがとうございます。」と言える人を目指します。

    ありがとうございました。

  2. ガラスの林檎

    人の悪口を言ってしまって、
    結局嫌な気持ちだけが残ってしまうという事、
    とても心当たりがあります。
    冷静になって考えてみたら、人が何と言おうと、自分の言い分が正しい!
    という立場から一歩も譲る気はなくて、
    ものすごく自分でも嫌な姿だと思いました。

    自分を正当化している割には、心はモヤモヤばかりして、
    心が晴れる事は全くありませんでした。

    人の悪口を言う割には、じゃあ自分はどうなんだ?と考えると、
    本当にお互い様です。
    人の悪口を言う前に、自分を改めなければと思いました。
    私も、人を「ゆるす、赦す」という生き方を選択します。

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