私が感じているこの世界は本物か?

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今回は「私が感じているこの世界は本物か?」というタイトルでお届けしたいと思います。私たちは見えているものは本物なのか?もしくは幻想なのか?そもそも一人一人見えているもの自体が違うのではないのか?様々な説があるなか一つのヒントとなる動画がありましたので、まずは下記動画をご覧いただければと思います。それではどうぞ。

▼【脳科学の達人】池谷 裕二【第38回日本神経科学大会 市民公開講座】

要旨:生物は目や耳などの感覚器官を用いて、光や音などの環境情報を電気シグナルに変換し、それらを脳内処理しています。しかし、考え方を変えれば、自然界に存在する環境情報のうちの限定的な部分のみを感じとっているにすぎないともいえます。たとえば、ヒトは磁気や紫外線、放射能などを感知することができません。「感知していない」という劣等感はおろか、感知していないという事実への「気付き」すらありません。

さて皆さんどうでしたか?自分が常識だと思っていることとは、とっても小さなものだという事に気が付かれましたでしょうか?私たちが自分主導で「見て、聞いて、嗅いで、味わって、感じているもの」自体が、本当にその通りなのだろうか?そもそも一人一人違うのではないだろうか?もしかしたら…別の感じ方も存在しているのではないだろうか?こう考えられる人はとっても大人だという事になります。事実そうなのですから。

つまり自分の価値観を他人に押し付けたりするのも子供のする事。自分のやり方を他人にやらせるのも子供のする事。他人を認めない生き方とは結局自分自身を息苦しくしてしまうのです。

小さな子供は自分が見たり聞いたりしたものをそのまま信じます。でも大人である私たちは「一人一人違うのでは?」と思えたならそれが正解なのです。これを言葉を変えると多様性と言います。他の人と違うとは、それはこの世界で五感を通したものの話なのです。見え方が違う筈だ。聞こえ方も違う筈だ。味わいも違う筈だ。匂いにたいする感じ方も違う筈だ。触覚も感じ方が違うかもしれないとなるのが大人の感じ方だという事です。「これは、こうだ!」と決めつけるのは、年だけ取った子供だという事です。

さてここからが本番です。ではあなたに質問です。あなたが見えているものは幻想かもしれない!となった時、では幻想ではないものとは一体なんなのか?という事なのです。一人一人見え方が違うような世界が本物の筈はありません。誰が見ても聞いてもハッキリと不二なるものこそが真実だからです。

では私たちは何を一体毎日見ている事になるのでしょうか?私たちの求めているものではないような気がしませんか?この様に自己流の見方考え方を疑う事が出来ることは素晴らしいことです。自我を疑う事。エゴを疑う事はとっても素晴らしいことです。それこそが大人の階段の第一歩となるからです。そして不二なるものを求める心こそが私達人間に課された授業内容となるのです。

ヴィジョン / Vision
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