自分の判断は間違っているのかも?

自分の判断は間違っているのかも?

そんな風に思える人は本当に素晴らしい!

興奮している時には、自分の判断が間違っているかも?なんて思えませんよね。

ケンカしたり、イライラしている時は特にそうですよね。

しかし、たったこの一文「自分の判断は間違っているのかも?」

この一文が、あなたの新しい心のドアを開ける為の呪文とも言えるものなのです。

なぜならば多くの人は、自分が正しいという視点だけで生きているからです。

でも客観的に見てみると、実際は同じ体験をしてもAと言えば、Bという人もいます。

そしてCやDやFなどという人もいるでしょう。

しかし、人間は「私はAだ!」と言えば、もうAしかないのです。

それしか目に入らないからです。

だから自分と意見が違う人がいたとしても、そんな人の事は赦せないし、他人を非難するのです。

私たちは他人を変えることなんか出来ないのに説教を始めたりもします。

私たちは自分の事すら変えられないというのに、直ぐに他人を変えようとします。

これはズルい生き方であり、なんと傲慢なのでしょう・・・。

人間とは、自分のエゴの目という一方の側からしか見れないのです。

ましてや反対意見の人には自分を正当化する為に、嘘までつくのが人間なのです。

そんななか 「自分の判断は間違っているのかも?」 という視点を持てる人は素晴らしいのです。

本当にそれって物凄いことなのです。

ですから自分の判断は間違っているのかもしれないという視点を持つことで、人生は大きく変化します。

この視点こそが実は、暗闇からの唯一と言っていいほどの脱出方法なのです。

この視点こそ、影さえない光そのものの本来の自分に向かう心の持ち方でもあるのです。

自分だけの視点からの脱出です。

大人への第一歩となるものなのです。

この視点こそが、真っ暗闇にいる自分自身を解放してくれるものなのです。

世の中が暗くても、あなたまで暗くなる必要はありません。

コロナ禍だからといって、あなたの心までコロナに感染する必要はないのです。

気にしないで行きましょう(笑)

私たちは 「自分の判断は間違っているのかも?」 という、

新しい視点を自分自身に受け入れることだけで十分なのです。

えっ!?たったそれだけ?と思うかもしれません。

しかし、冷静に考えてみて下さい。

夫婦間で、恋人同士で、家族で、友人同士で、会社内で・・・あらゆるところで、

この 「自分の判断は間違っているのかも?」 とお互いに思い合えたらどうなるでしょうか?

お互いがお互いの意見を尊重し、お互いに聞く耳を持てるのですよ。

そしてお互いに謙虚に居られるのです。

そして決して偉ぶらず、頭ごなしの言い合いもなしで、互いに尊重し合う世界が生まれるのです。

これこそが素晴らしい世界です。

「自分の判断は間違っているのかもしれない・・・」

だからこのたった一行が幸せへのキーワードなのです。

新しい生き方への鍵となるのです。

同時にこの一文が、新しい社会へのベースとなるのです。

人間はエゴからの脱出をしないといけません。

私たち人間はあまりにも傲慢でした。

私たち人間はあまりにも幼すぎでした。

だからこそ、新しい自分にならないといけないのです。

その為の第一歩が 「自分の判断は間違っているのかも?」 という生き方なのです。

これこそが素晴らしい人生の始まりを象徴するものなのです。

「自分の判断は間違っているのかも?」

そしてこれが、ゆるしへの第一歩になるのです。

相手をゆるそうとする時、この視点がなければ土台無理な話なのです。

自分の主張ばかりしている人は、他人をゆるせる筈はありません。

自分の主張から飛び出さない限り、他人をゆるせる筈はありません。

他人の気持ちも分かりません。

人間同士が揉めるのは、お互い自己主張を譲らないからなのです。

もしくは腹に一物を持ったまま、我慢して生きているからなのです。

これでは永遠に埋まらないギャップであり、心からの平和なんか訪れるはずはありません。

ですから 「自分の判断は間違っているのかも?」 このたった一言が宝物なのです。

人類にとっての宝物だったのです。

この一言をあなたの人生に取り入れてみてはいかがでしょうか?

あなたの新しい人生の基軸としてみることをおススメいたします。

ヴィジョン / Vision
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