人間は「自分が信じているものだけ」を見ている!

私たちが見ているものは、みんな同じなのだろうか?

同じものを見ている筈なのに、人によってその感じ方は違う。

同じ人を見ても、好きという人もいれば嫌いという人もいる。

政治のやり方を見てそれは良い事だという人もいれば、悪い事だと思う人もいる。

この様に同じ出来事を見ていても、人によって感じ方は180度違ったりする。

どうしてそんな事が起きるのでしょうか?

同じことを見ている筈なのに、どうしてこうも感じ方が違うのでしょうか?

人によって見方や感じ方が違うと言う事を認めないから、人は喧嘩を始めてしまうのです。

自分の見方を他人に強制する事になるから、揉めるのです。

では、どうして人によって見方や感じ方が違うのでしょうか?

それは、人間は「自分が信じているものだけ」を見ている!からです。

人の知覚は経験を基にして構築されて行きます。

そしてその経験は、その人の信念となっていきます。

その上でその信念が定着するまで、その知覚は安定しないものなのです。

つまりは、目に映るものをどう感じるのか?なのではなくて、

目に映るものとは、自分が望んだものを映し出していると言えるのです。

お分かりになるでしょうか?

伝わっていますでしょうか?

あなたの人生は映画館の中の様なものなのです。

上映されている映画は、あなたの人生そのものという作品です。

その映画を観て何を思うのか?は、あなた次第だということなのです。

そしてそもそもその映画のストーリー自体は、あなたの心が映し出しているものだったのです。

つまりあなたの心が映画のフィルムの役割を果たしていて、あなたの映画を映しているのです。

あなたの心が映し出すフィルムとなり、あなたの人生の出来事が起きているのです。

よって、人間は「自分が信じているものだけ」を見ている!のです。

そして人間は「自分が信じているものだけ」を映し出しているのです。

自分が正しいと証明したい時、「あいつは間違っている!」と言える相手を人生に登場させているのです。

あなたが怒りたい時には、あなたは「怒る相手」を自分の人生に登場させているのです。

いつでも自分は正しくて、自分は善良な立場という一方的な物語として…ですが…。

つまり「存在しない人をあなたが登場させている」ようなものなのです!

あなたの自我が満足するように…その相手を登場させています。

あなたのエゴが微笑むように…その出来事を起こしているのです。

基本は自分に都合の良いようにストーリーは続いていきます。

まるで超一流の手品師のようです。

スティーヴン・スピルバーグ監督もビックリの手法なのです。

人間は怒りたいから、怒るような場面を自分で創り出しているのです。

意識していて創り出したり、または無意識の内に創り出しているのです。

自分が望んでいない事が起きるのも、実は自分が創り出しているのです。

それをカルマと呼ばれたりしています。

その望まない事柄を通して、何かの学びが必要な場合に起こります。

しかしその見えているものに囚われてしまい、私たちはどんどんと真実から離れてしまっているのです。

ですからこれこそが、私たちの目に見えているものは真実ではないという理由なのです。

私たちは「歪んだ自分の心」によって、世界を歪めてしまっているのです。

ですから、人と人、組織と組織、国と国は結局はいがみ合う事となるのです。

意図してやっているか、無意識にやっているかの違いはありますが…。

よって私たちは本当の自分に出会わなければならないのです。

自分の心の奥底に眠っている本当の自分に…です。

エゴから物事を見ていては、分離しか生まれないからです。

自我が作り出す今のこの世界から、卒業することが大事なのです。

その為には、まずは自分のエゴからの卒業が不可欠となるのです。

私たちは、実は自分を邪魔しているのは自分自身だったという事を知らない。

だからエゴから離れることが大事なのです。

そうしない限り、永遠の心の平安は訪れないからです。

ヴィジョン / Vision
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