相手を変えようとしてはいけません。
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腹がたつ人に出会ったり、嫌だと思う人に出会った時、私たちは「相手を変えよう」とします。目の前で起きていると思っている形に心を奪われて自分を見失ってしまい、その形に対して怒りをぶつけたりします。そして「相手が悪い!だからあなたの態度を変えなさい」と相手を変えようとしてしまいます。声や態度に出さずとも、心の中で思っているだけでも同じことです。相手を責めているという事に関しては全く同じことでそこに違いはありません。
しかし、私たちは相手を変える事が出来るのでしょうか?もしあなたが、あなたの嫌いな人から「変われよ!」と言われて素直に自分を変えようとするでしょうか?絶対に変えないと思います。自分がしない事は、相手もしませんよね。それなのに他人を変えようとしているのです。映画で言えば、スクリーン上の出演者に文句を言っている様なものなのです。
私たちは自分を変えないばかりか少しは自分も悪いかなぁと思っていたとしても、逆ギレをしたりしませんか?こいつにだけは言われたくないと思ったりして…。私たちは相手を変えようとしたら、何倍にもなって自分に返って来るだけなのです。だって相手はあなたなのですから。あなたの心が投影した自分、それがお相手でもあるのですから。
私たちは、誰であっても「相手を変える事はできない」のです。変える事が出来るのは自分だけ。自分の心だけだからです。他人から変われと言われても変わらないあなたが、他人を変えようというのは傲慢そのものですよね。そしてそれは理に適わないことでもありますよね。違う映画(違う人生)を観たかったら、映画のフィルム(自分の心)を変えなければならないのと同じことなのです。
私達に出来る事。それは相手を変える事ではなくて『相手を見る、その見方を変える』のです。相手を変えるという考え方は傲慢そのものです。自分の心が投影したものが、あなたが見ている世界なのですから、投影の元である自分の心(フィルム)を変えるのです。悪いのはあいつ!ではないのです。だって、あなたが見ている世界を映しているのは、あなたの心なのですから。
ですから私たちの唯一の仕事。それは『相手を赦すこと』だけなのです。そして『自分をも赦すこと』です。これだけが私たちの人生という教室で行うべき仕事となります。全人類同じ宿題が出ているのです。この事は嫌いな相手だけではなく、世の中全体に対しても同じことが言えるのです。世界は赦される為にあるとも言えるのです。なぜならば赦せない世界をつくっている(映している)のは、自分の心(フィルム)だったからです。世界を赦すのです。赦せない!と言って、エゴに主導権を渡してはいけません。いつでも『正しい心』に帰れるように、エゴを選ぶのではなく、正しい心を選択することだけが私達に求められているのですから。頑張りましょう。
ヴィジョン / Vision
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