自分らしく生きるとは?

自分らしく

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自分らしく生きるとは、どういう事を言うのでしょうか?自分らしくありたいと誰もが思っている事とおもいますが、自分らしくが分からないという人も多いのではないでしょうか?あなたにとって「自分らしく」とは、どういうことを言いますか?自分らしくとは、一体どういう自分を言うのでしょうか?また、その「自分らしく」とは一人一人違うものなのでしょうか?それとも、皆同じものなのでしょうか?あなたはどう思いますか?

自分らしくとは、実は二つの意味があるのです。分かりやすく言いますと、一つは一般的に言うところの表面的な意味と、もう一つは内面的でもっと深い意味とがあるのです。しかし、この二つ目の自分らしくは次元が違う程の差があるのです。ではまず、その表面的な自分らしくから見ていきたいと思います。一般的にはこの表面的で分かりやすい「自分らしくしよう」等の事を言います。表面的とは言いましたが、今のこの世界ではこれが全ての意味となります。

「あなたらしくありましょう」とか、「自分らしく生きましょう」といった使い方をする、これが一般的な自分らしくです。つまり、一人一人自分らしくは違うという事になります。Aさんが思う自分らしくと、BさんCさんが思う自分らしくは同じではない筈です。これが表面的な自分らしくです。一人一人違うのですから、ある意味そこに定義はありませんし、それについて討論するにも討論しようがないという事になります。つまり、バラバラのままなのです。

そこで、もっと内面的な真の意味での「自分らしく」にたどり着く必要が出てきます。その自分らしくは、ある意味『全員同じ定義』だという事になります。つまりそれは心の奥深くに存在し、エゴを超えたところにあるからです。人間のエゴを抱えたままでは、エゴの色というものがありますから、一人一人違うという事になるのです。しかし、エゴを超越した境地に立てば、人は皆『一つ』であり、あなたは私というところに立つ事が出来るからです。

この『一つ』という境地に達しない限り、人間はエゴとエゴのぶつかり合いから逃れる事は出来ないのです。自分らしくの最終目的地は、一般的に言うところの「自分らしく」からは、遠く離れていて、まるで真逆に位置しているかの様なものなのです。エゴを超え、自分の自我を薄めて行ったその者にしか味わうことが出来ない感覚で在り境地なのです。でも、一人一人がこの境地近づき立たない限り理想の社会も生まれません。そして一人一人が理想の人生も送ることも出来ないのです。

だからこそ、エゴを無くしていくという大事なことに気づいた者たちから、つまりあなたから、自分から歩んでいく道なのです。まずは、自分自身からです。あなた自身の事なのです。世を憂いたり社会を批判してもそこからは何も生まれません。自分を高めていく道とは、エゴからの脱却でありそれが同時に『愛深く生きること』となります。そしてその輪が広がっていく事、これこそが私たちの求めるものとなっていくのです。

ヴィジョン / Vision
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