愛されたいという前に、少しだけ考えてみませんか?

愛されたいという前に、少しだけ考えてみませんか?
愛されたいとみんなが言う。
そして、もっと愛されたいと言う。
でも、みんな愛されたいのにどうして愛に満たされないのでしょうか?
みんな愛が欲しいと言うのに、どうして愛が足りてないのだろうか?
みんな愛に包まれたいというのに、どうして愛に包まれていないのだろう?
みんな愛だけあればそれで良いと口では言うのに、どうして愛溢れる生き方が出来ないのだろう?
人は寂しくて、そして駄々をこねます。
それはまるで小さな子供がお母さんの愛が欲しくて駄々をこねるのに似ています。
大人になっても、寂しいのです。
年齢ではないからです。
そして、それは愛が足りてないからです。
愛して欲しいと思っているのです。
大人も子供も、男も女も、みんな愛して欲しいのです。
愛が欲しいのに、愛が足りないとイライラして生きてしまっているのです。
愛が欲しいのに、愛してくれない!と怒り、 嫌な人に成り下がっていくのです。
そして自分の事がだんだん嫌いになっていく・・・。
実はみんな愛が欲しいだけなのです。
でも愛を求めているのに、その夢が叶わないのは、なぜなのでしょうか?
愛が欲しいのに・・・なぜ愛から離れて遠ざかっていくのでしょうか?
それは人間の愛とは「欲しがっているもの」だからです。
私は愛が欲しい欲しいとしか言わないからなのです。
愛するというのも「自分の何かを手に入れるため」であるからなのです。
「ちょうだい!ちょうだい!」といつも言っているのと同じなのです。
これはウザいですよね・・・。
つまり人間の愛とは「欠乏しているものを欲しがるもの」となってしまっているのです。
つまり「自分に足りないものを奪いに行く」ことになっているのです。
この意味が分かりますでしょうか?
伝わっていますでしょうか?
相手を脅しているのに等しい行為なのです。
さて・・・はたしてこれを愛と呼んでよいのでしょうか?
人は愛が欲しいと言いつつ、愛をよこせと言っているのです。
愛とは他人に求めてはいけないものなのです。
自分が愛が欲しいからと言って、「愛をくれ!」と言うものではないのです。
自分に足りないものを他人に求めてはいけないのです。
それでは、愛を奪いに行っているのと同じこと。
愛の奪い合い!
愛の泥棒同志・・・。
だから、非難し合うという事になって喧嘩になるのです。
私はこんなに愛しているのに、あなたは私のことを愛してくれない・・・。
いえいえ・・・それは違いますよ。
あなたの愛は自己中心的な愛なのです。
それを愛とは呼びません。
偽の愛です。
足りないものを、私によこせ!と言っているのは愛と呼べるのでしょうか?
そんなものは愛ではありません。
私の欲求を愛で満たせと言っているのと同じこと。
それは愛なんかではないですよね。
あなたは何様でございましょうか!?と自分に聞かなければならないのです。
あなたが愛する人をあなたの愛で満たして差し上げれば良いだけのことなのです。
自分はしないのに、相手にはしろという・・・。
なんと傲慢なのでしょうか?
いつでも自分自身を省みるのです。
相手を見るのではないのです。
相手に文句は言う事だけが上達しても悲しいだけですよ。
どうして人は奪い合うのか・・・。
どうして人は与え合わないのか・・・。
どうして人は愛に生きたいのに、愛から離れて行くのか・・・。
それは『心が育ってない』からなのです。
心は育てていくものなのです。
自分で育てていくものだからです。
訓練が必要なのです。
トレーニングが必要なのです。
自分を鍛えずに、他人に文句を言っているのが現代人の特徴なのです。
だからSNS等で心無い誹謗中傷が蔓延しているのです。
自分の心をほったらかしで、他人の心に文句を言っているだけでは愛は逃げていくだけ。
不幸になるべくなっているのです。
愛は奪い合うものではないのです。
愛はくれくれと言うものでもないのです。
それでは、愛のくれくれ詐欺です。
これでは「オレオレ詐欺」ならぬ、「オレに愛をくれくれ詐欺」ですよね。
他人に求めるという悪い癖は直さないといけません。
これはもう癖になってしまっています。
愛は与え合うもの。
愛はあふれ出るもの。
いつでも愛は自分から!です。
愛とは実はとってもシンプルだったのです。
与えた分、返って来るだけのことなのですから。
まずは自分から、それだけです。
自分から実践するだけなのです。
ヴィジョン / Vision
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