この世界のプロデューサーは誰なのか?

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あらゆる物事はその意図するものが必ずあります。つまり起きることが偶然で存在しているものはないという事。すべて物事は、ある意味必然で起きているのです。

そうなると一つの疑問が湧いてきます。それはこの世界という単位で見てみた時に「この世界の意図するものは何なのか?」ということです。そして「この世界のプロデューサーは誰なのか?」という疑問が湧いてきます。次にこの宇宙の目的は何なのか?この宇宙のプロデューサーは誰なのか?という疑問も湧いてきます。

私は20代のころから数々の大きなイベントを開催するイベントプロデューサーをしてきました。無から有を生むように、思い一つでイベントを具現化させても来ました。その全くの白紙から物事を創り上げていくという経験は、物凄く大変ではありますが異次元に楽しいものでもありました。という事で、プロデューサーという目線でこの世を見ていくと数々の疑問が出てくるわけです。

どうして政治はこうもダメなのか?どうして経済はグローバル化しある意味、政治をも動かすような存在になってしまったのか?人類の命より、お金が中心で経済の方が優先されるのはどうしてなのか?等と、善悪を抜きにしてプロデューサー目線で考えてみるとある意味答えは簡単に出て来ました。

それは政治も経済もフェイクだからです。基本がはったりであり、嘘をつく事がデフォルトになっているからなのです。つまり政治家は誰も国民の事なんか心底考えてはいません。その表に出ている政治家たちも大きな力の奴隷なのです。グローバル経済も自社の利益だけを追求します。人類の健康も平和も何も全く関係はありません。要は儲ければ正解という世界だからです。利益第一主義です。この世界を動かしている人々に迷いなんかないのです。

そこからもう一つ次元を上げて見てみましょう。生と死という次元です。全人類共通の次元です。この生死も偶然ではありません。だとするとこの生死は、誰がどんな目的で、何をしているのか?という事になります。そこからは見えてくるのは「死んだら終わり」だというフェイクです。人間は死んで終わりではありません。人は死ぬと肉体から離れますが、心は死んではいません。つまりあなたも私も心は絶対に死なないからです。

死んだら終わりというのは、肉体に心が宿るというフェイクでもあるのです。肉体に心が宿るのではありません。逆です。心が主体なのです。心が主体で肉体が宿っているから、肉体から心が離れても心は死ぬという事はないからです。となると、誰かが嘘の情報を流してる(笑)という事になります。その犯人はエゴです。

この世界はエゴがつくりました。神様がつくったのではありません。ですからこの世界は、狂気と狂気の騙し合いつぶし合いという世界になるのです。この宇宙もエゴがつくりました。神様がつくったのではありません。それはあなたが神の子であるという事実を忘れさせる為に、エゴがこの宇宙をこの世界をつくったという次第なのです。神の子に死というものがある訳はないのですから。神も神の子も死にません。

こんな風に次元の違うところから観る目を養うことはとても大事な事なのです。大局的に観る目を持つ事が、私たちが親の元に帰ることが出来る鍵となるからです。その意識を持っていれば、必ず真実は観えてきます。エゴの策略に乗らないことです。私たちの怠け癖、妥協する心、愛情を持たない生き方、自分だけ良ければ良いなど・・・すべてエゴの生き方です。ダークサイドに落ちていく様な、そんな人間の堕落した間違った心になってはいけません。

では、どうすれば良いのか?それはまずあなたが、この人生をどんな映画にしたいのか?という事に尽きます。あなたの人生の監督はあなたしかいないからです。エゴにハンドルを預けてはいけません。そしてあなたがどんな世界にしたいのか?という事なのです。この世界をどう受け止めるのかは、プロデューサーであるあなた次第なのです。世界を変える事は出来なくとも、どう世界を見て感じるかはあなた次第なのですから。エゴの策略にはまり、エゴの奴隷になってはいけません。

エゴの世界からの脱出の為には、その結論を言いますと、この世界のすべてを赦すことです。あなたの嫌いな人も赦すことです。あらゆる場面を赦すことです。そして自分自身をも赦すことです。なぜかと言いますとこの宇宙もこの世界もフェイクだからです。幻想だからです。夢の中と同じなのです。悪夢を見ているのです。その「赦せない心」があなたの嫌いなもの悪夢を生んでいるのです。嫌な自分が嫌なものをプロデュースしていただけだったのです。ですから自分の心を変えていくという地道な努力が必要となるのです。ですから夢から醒めましょうと言っているのです。

ヴィジョン / Vision
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  1. KAZE

    ヴィジョンさん、おはようございます。

    本日の記事とても一段一段、心の視点を上げて行くようなイメージで読ませて頂きました。

    この世界はフェイクだった!そうでした!またこの世界の茶番劇に惑わされ大切なことを忘れかけていました。

    自分が赦せていない、人、出来事、自分自身、まだ心の奥に抱えている不満や恐れ罪悪感といったものも赦しを実践して手放して行きます。

    この世界のプロデユーサーはエゴではなく自分だったこと思い出させて下さいましてありがとうございます。

    KAZE

    • Vision

      KAZEさんへ、コメントありがとうございます。

      世界はフェイクなのです。フェイクだと分かっていたら腹も立ちません。赦せます。
      エゴがつくったフェイクな世界に対して、マジになる方がおかしいですよね(笑)

      その上で、自分が感じる世界は「自分の心の映し」です。
      つまり、自分の心が映した映画のスクリーンに向かってマジギレしているのです。
      これはもう恥ずかしいこと、この上ないですよね。

      上映中の映画の出演者が許せないと、いつまでも恨んでいる方がオカシイ。
      ですから、焦らずに赦すこと。一個づつ、一人づつ・・・。
      頑張りましょう。

      Vision

  2. KAZE

    ヴィジョンさんへ

    ありがとうございます。

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