愛犬の死、家族の死が意味するものとは?

ペットの死

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ペットの死、愛犬の死とは、一体何を意味するのだろうか?ペットはある意味家族の一員であるから、ペットの事だけではなく家族の死の意味とは何なのだろう?という事を見て行きたいと思います。というのも以前少しだけ書いた事がある我が家の家族の一員であって一般社団法人 NEW VISIONの看板犬であるラブラドールレトリーバー「モモちゃん」が・・・実は先日虹の橋を渡りました・・・。

モモちゃんは黒ラブのメスで、とっても可愛く頭の良い優しい子でした。年齢は13才と5か月でした。モモは人間が大好きで大好きで、道行く人が声をかけてくれると何倍にして喜んでしっぽを振り振りし迎えていました。またペットを無くして悲しんでいる人がモモには分かるようで、その人が来てくれるまでお座りしてジッと優しく見つめていました。そしてその見つめられた人が気づきモモのところに来て話してみると「同じく黒ラブを飼っていて、昨年亡くなったんです」とか「先月ペットを無くしてしまって悲しくて」等々という人が続出でビックリ仰天の連続でした。そしてその悲しんでいた人たちが笑顔でワンチャンに久しぶりに触れて嬉しい等とお礼を言って下さっていました。そんな不思議な愛嬌のたっぷりのモモちゃんでしたよ。

黒ラブの平均寿命は12才と少しと言われているくらいですから、大病も大けがもせずに長生きをしてくれました。人間でいうと90才くらいだそうです。旅立つ時までモモちゃんは良い子でした。家族の見守る中、私の腕の中で眠るようにスっと旅立ちました。介護も全く必要なく、自分で歩けるような状態で、神様の元の旅立って行きました。本当に私達家族に一切の迷惑をかけずにニッコリと笑うように旅立ちました。そして旅立ってからも何度も毎日、遊びに来ています。のどの器官が詰まって苦しかったのも今は一切なく、満面の笑みで遊びに来てくれています。とっても悲しいけれど・・・嬉しいです(T_T)/~~~もう泣き笑いです(笑)

では愛犬の死から学ばせて頂いた事を書かせていただきますね。まず第一に愛犬、ペットは「死んではいない」という事です。死んでいたら私の前に現れる訳はありませんから。人間と同じく、愛犬も「霊的な存在」なのです。肉体を離れただけであって、愛犬は死んではいません。生きています。今も本体である「心」が生きています。肉体を脇に置いて、神様の元に心が還って行っただけなのです。だからペットロスで悲しいですが、悲しくはないです♪

これは人間の死でも同じことなのです。家族の死、愛しい人の死、親しい人の死・・・全く同じです。人は死にません。肉体を離れて死んだように見えますが、本体である「心」はしっかりと生きています。なぜならば肉体が主ではないからです。ペットも家族も私達も「心の存在」だからです。心は死にません。私たちは肉体の存在ではないからです。目に見えるというだけで肉体に囚われてはいけません。肉体の目にも騙されてはいけません。肉体を脇に置いて、心は生き続けます。そしてもう一度生まれ変わる人が殆どだと思います。しかしいずれ全員、この幻想の世界から目覚め覚醒し、神様の元に還るのです。

今日は愛犬モモちゃんの旅立ちから学ばせて頂いた事を記事に書かせてみました。モモちゃんは旅立ってもブログに協力してくれています。ありがとう!さすが NEW VISION の看板犬ですね。もしよろしければ皆様もモモちゃんの写真に向かて笑顔を向けて下さったら幸いです。ペットも肉親も友人も目の前からは消えたように見えますが、今この瞬間も生きています。「ワン!」という元気で大きな声が聞えてきます。お読みいただいてありがとうございました。モモちゃん共々感謝でいっぱいです。

ヴィジョン / Vision
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  1. KAZE

    ヴィジョンさんへ

    モモちゃんの写真に笑顔、向けさせて頂きました。
    自分にも「ワン」とモモちゃんの元気な声が聞こえた気がします。
    心は死なないことモモちゃんから教えて頂きました。
    ありがとうございます。

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