「許せない」と他人を批判する心が、実は「自分を不幸」にしている!

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あなたには、許せない人はいますか?多分、許せない人は多くの方が「いる」と答えるのではないでしょうか?しかし、その許せないと他人を批判する「自分自身の心」こそが問題なのです。あなたが許せないと言っている相手が問題なのでは無かったのです。実は許せないと言っている「自分の心」が問題だったのです。なぜならば「許せない」と他人を批判する心が、実は「自分を不幸」にしている!からなのです。

そうは言っても「あの人を許せない!」「あの人は酷過ぎる!」「こんな酷い事をされた!」「裏切られた!」等と言って、私は正しいし、間違っているのはあの人だという立場を絶対に崩さないのだと思います。しかし、はたしてそうでしょうか?物事と言うのは、表も裏もあります。右も左も。そして立場が変われば物事も違って観えたりするものです。なぜならば、物事の感じ方一つ取っても、一人一人違っているからなのです。

でも人間は、自分が正しいというスタンスから出ようとはしません。だって、あの人は○○だから!と・・・。ヴィジョンは何もあなたの意見を否定しようとしているのではありません。否定でも肯定でもないのです。ただ「その現象」に心を乱されている「あなたの心」の方を見るべきなのでは?と言っているのです。伝わっていますでしょうか?外を見るのではなく、内を観ようと言っているのです。

しかし人間は、外に簡単に囚われてしまいます。だから、人間はある意味「囚われの身」だとも言われているのです。目に見えるもの、それは外にあるものです。聞こえるもの、それも外にあるものです。自分の心を見るというトレーニングが圧倒的に不足しているのです。やった事がないという人までいましたから(^_^;) しかし、自分の心を観ること、自分の感情を感じる事、そしてその奥にある心の根っ子を観るという「真の自問自答」をしない限り、人間は誰かを罵り、批判し、衝突を繰り返す不毛な人生の後に死んでいくだけなのです。

昨今の新型コロナウイルスの自粛という時間は「本当の豊かさとは何なのか?」「真に心が豊かな人とは、どんな人なのか?」そして、「自分はどんな人生を送りたいのか?」はたまた、「人生の目的とはいったい何だったのか?」等と言うことを思い出すいい機会だと思うのです。大事なものを見失ってはいけません。

ヴィジョン / Vision
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  1. キイチ

    相手とちょっとだけ意見が食い違う時でも、
    瞬時に自分が正しい「相手が間違っている」と言う様に心が動いてしまいます。

    批判でも受けようものなら心は波打ち「このやろう許せない」と、
    怒りの感情が浮き出てしまい心が落ち着くまでに相当時間が必要です。

    時間が経ち心が落ち着いたとしても、
    その乱れた心は何時までも他人のせいにしたままなので、
    何時も同じ様な場面で心を乱しているのではないか?と、
    改めて自分のことを振り返る時間を頂きました。

    自分の心に原因がなければ毎回同じ様な場面で心を乱すことはなく、
    落ち着いて居られる筈だと思いました。

    自分の心の根子には自分の方が優れていると相手を見下したり、
    自分の方が立場が上だとか凄く傲慢な思いがあることに気づきました。

    この「心」を変えることで相手を許せて「豊かな人生」になると思いました。

    この傲慢な心を変て豊かで幸せな人生になるように頑張ります。

    ありがとうございます。

  2. コスモ

    私はいつでも「自分が正しい」と思って生きてきたなあと思います。
    相手に間違いなどを指摘してもらっても、
    すぐに反論して、自分の意見を変えようとはしません。
    それどころか、相手を悪者にまでしてしまっていました。
    相手を許せない!と思っている自分の心が原因だったなんて、
    思ってもみませんでした。

    どこまでも「自分が正しい」というのは、
    自分でもびっくりするくらいに、とっても傲慢ですね。
    傲慢な心のまま、このまま生きていくのは嫌だし、
    とても悲しいと感じました。

    今からは、どんな人生を自分は送りたいのか?
    自分の人生をもっと真剣に考えてみます。

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