怒りは決して正当化されない!

☆ ☆ ☆
怒りは決して正当化されない!
怒りは、大事なものを見失うから。
怒りによって、あなたの本質から遠ざかってしまうから。
どんな理由があろうとも、怒りは自分を見失う。
そして、嫌な自分を浮き彫りにさせる。
どんなに自分が被害者だと感じようとも、それでも怒りは正当化されません。
相手には相手の言い分があるのです。
怒った時点で、あなたの負け。
自分自身に負けてしまう事になるのです。
ヴィジョン自身も短気なので、自分にいつも言い聞かせています。
どんな怒りも正当化はされない!と。。。
怒ったら負け。
相手に負けるのではなく、自分に負けるということ。
相手がどうであれ、世の中がどうであれ、政治家がどうであれ、
あなたが感情をコントロール出来るかどうかは、あなた次第!
自分の感情の乱れは、誰のせいにも出来ないことなのです。
あなたの感情は、あなただけがコントロールできることだからです。
あなた以外、あなたの感情をコントロール出来ないのです。
こう書くと当たり前だと思う事も、言うは易し行うは難しですよね。
この世は、シェークスピアが言った様に「人生は舞台、人々は役者」なのです。
All the world’s a stage, And all the men and women merely players: They have their exits and their entrances; And one man in his time plays many parts, His acts being seven ages.- Shakespeare (シェイクスピア) -
全世界は一つの舞台であって、すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれ舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々にいろいろな役を演じる。舞台は年齢によって七幕に分かれているのだ。
自分が演じる、自分の人生に於いて、自分の感情をコントロール出来ないというはどういう事なのだろうか?
つまり、何を演じている役者なのか?という配役さえ忘れているのでは?
舞台役者が、舞台もセリフも配役もすべて忘れて、舞台上でマジになっている?
これが我々人類の、人間の現在の姿だと思うのです。
生まれて来た訳を忘れ、生きる目的も忘れ、ただただ怒り不平不満と共に生きる。
そして、死ぬ為だけに生きるような意味不明な舞台役者となってはいないだろうか?
自分の人生を俯瞰して観ることを強くおススメします。(※参考サイト↓)
自分の人生を俯瞰(ふかん)して観れる人は、豊かに生きる事ができます。
人間の死ぬ確率を知っていますか?
全人類、死ぬ確率は「100%」なのです。(当たり前ですが)
全員、いずれ死ぬのです。(肉体レベルでの話しですが)
つまり、100年後200年後に生きている確率は「0%」なのです。
お金持ちも、権力者も、あなたも、例外ではありません。
では、今をどう生きるのか?
今だけに集中して生きるべきだと思うのです。
人生の目的について考えるべきです。
生きる意味について考えるべきです。
怒る暇があるのなら、楽しく生きる事を選択したい!
ヴィジョンは、いつもそう自分に言い聞かせているのです(^_-)-☆
ヴィジョン / Vision
▼記事更新の応援クリックをお願いします▼


私は「なんで分ってくれないんだ!」と、
些細なことで直ぐに怒ってしまう様なところがあります。
そして「今のは自分がオカシイな!」と気が付いても、
なかなかそのことを認められず、
なんとか自分を正当化しようとする思考が何時までもグルグル働き続けます。
自分でもこんなウジウジした性格は潔くないな~と嫌になることがあります。
ブログ記事を読ませて頂きながら、すぐに怒ってしまう時の自分は、
自分の感情をコントロール出来ず自分に負けたことを、
「お前のせいだ」と他人や周りのせいにしているだけなんじゃないか?と思いました。
これから感情的になりそうな時には「怒ったら負け」だと言うことを、
私も自分に言い聞かせ自分を俯瞰して観ることを繰り返し続けさせて頂きます。
ありがとうございます。
相手にムカッとしたり、怒ったりするような出来事がおきた時、
今まで相手のせいにばかりしてきました。
自分の感情は、自分にしかコントロールできない事を読んで、
今まで、ずっと自分に負けていたんだなあと思います。
怒ったら自分に負け、というところが、
とても腑に落ちました。
舞台上の役者が、演じているうちにマジになって、
喧嘩を始めたり、感情をコントロールできなくなるなんて、
これが自分の姿だと思うと、なんだか笑えてきました。
冒頭の画像のように、自分はマジになって怒っているのに、
攻撃しようとして相手に向けて持っているのは、
実はバナナだった!というくらい滑稽なことだと思えてきました。