恐れをベースとした生き方から、楽しい事は何も生まれない!

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恐れをベースとした生き方から、楽しい事は一切何も生まれないのです!例えば、今回の新型コロナウイルス。世界中で「怖い、怖い」という悲鳴にも似た叫びが聞こえてくるようです。恐れる事から実際に起きた事が、トイレットペーパー買占め事件や、自粛警察などという訳の分からない偽りの正義感を振りかざし他人を責めたりするというもの等です。恐いをベースにしたら、悲しいかな人間の本性が浮き彫りになってしまうかのようです・・・。

危険を顧みずに実際に体を張って下さっている医療関係者の方々や、対面でご商売をして下さっている方々へ、ねぎらいの言葉一つも言えなくなってしまった日本人・・・。全員とは言いませんが、日本も外国と変わらなくなってしまったようです・・・。特にスーパーやコンビニやドラッグストアでの老人達の振る舞いは、目を覆いたくなるなるものがあります。自分の事でいっぱいなのか、心ない態度を耳にしたりもします。もう、それは狂気の世界です。

弱い犬ほどよく吠えるものです。思いやりの心を失い、愛を知らない人になってはいけません。日常と違う事が起きた時こそ、他人に優しくありたいものです。つまり「恐怖」からは何も生まれないのです。「恐怖」をベースにして生きたら、絶対に自分以外の人物事は、自分に害を及ぼすかもしれない存在となってしまうからです。他人を信じる心や、他人にやさしくする心を失ってしまい、何の為に生きているのかを簡単に見失ってしまうのです。そして自己主張しかしなくなるのです。正しくは自我主張か・・・。

普段とは違う事が起きた時こそ、私達の真価が問われるのです。何があっても、人を信じていられるのか?人にやさしく出来るのか?思いやりの心を失ってはいないのか?自分で、自分をチェックしなければなりません。これが出来てこそ、初めて「大人」になったという事なのだと思うのです。年ばかり取って「老害」等と言われる様な大人には絶対になりたくないですよね。

自戒を込めて言わせていただければ、自分で自分を律することが大人の条件なのだと思います。どんな時でも、そしてこんな時だからこそ、他人の痛みを知ることや、思いやりのあたたかな心を持って、いつも生きていきたいと思っています。子供たちの手本となれる様な、そんな人生を送りたいとも思っています。みなさんは、どうですか?

ヴィジョン / Vision
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  1. ハルト

    新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が出されてから、
    何時も心の何処かに未来の不安を抱えていて、
    その不安、恐怖を何とか解消するために、
    いろんなことを考え何時もセカセカと焦る様な気持ちで過ごしていた様に思います。

    そんなに忙しい訳でもないのに「俺はこんなに大変なんだぞ!」と、
    周りにアピールするかの様に生きているところもありました。

    周りの人たちも皆さん、恐れや不安な気持ち抱えいた筈だと思いますが、
    そんな相手の気持ちよりも自分の事ばかり考えていた自分に改めて気が付きました。

    自分だけが大変だと言わんばかりに周りに甘えて「自己主張」を繰り返すことも多くありました。

    不安や恐怖に振り回されてしまうのは、自分をコントロールできない、
    自分を「律する」ことが出来ない自分勝手な「子供」なんだと思います。

    本日から改めて相手を思いやることのできる大人を目指して頑張ります。

    何時も大切なことを教えて頂いて、ありがとうございます。

  2. ゆうあい

    新型コロナウイルスの影響で、
    当たり前だった色々な事が変わった時、
    私は他人に優しく接していたかな?
    自分のことしか考えていなかったのではないかな?
    思いやりを忘れていたのではないか?
    と考えました。

    やっぱり、「恐怖」をベースにして、
    自分のことしか考えていなかったのだと思います。
    『自分以外の人物事は、自分に害を及ぼすかもしれない存在』
    だと思って生きるのはとても悲しい生き方だと思いました。
    「恐怖」をベースにした生き方から、
    思いやりや愛をベースにした生き方をしていきたいです。