誰かを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られない。

誰かを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は得られない。
宗教団体の時代は完全に終わりました。
なにも宗教だけの話ではないのです。
心の状態のことを言っています。
「誰かにすがる」のは終わりです。
「誰かに頼る」のも終わりです。
「誰かに祈る」のも終わりです。
自らが旅立つ時です。
自分の足で大地を踏みしめる時なのです。
誰かにすがっていると、自分で考える事を止めてしまうからです。
誰かにすがっているとイザという時に、誰かに頼る癖がついてしまっているのです。
弱さだけが大きくなるからです。
他人を頼っていては、いつまで経っても本当の自由は訪れないからです。
ある意味、宗教団体や誰かに頼っている状態は「牢獄」にいるのと同じことなのです。
言葉が少しきつくなってしまいましたが、これは本当の事なのです。
自由になりたいと言いながら、自分を牢屋に閉じ込めている事になっているからです。
自分で考えることが大事なのです。
自分で自らの内側と会話するのです。
答えは、誰かが持っているのではないからです。
答えは、お願いして出て来るものでもないからです。
答えは、自らが導き出すものだからです。
だから失敗も肥やしになるのです。
他人を頼っていては成長はありません。
テストでカンニングを続けているのと同じこと。
失敗も成功も色々な体験が、自分と言う土壌を豊かにしてくれるからです。
静かな時間をつくる事です。
一人の時間をつくる事です。
そして自分の外側ではなく、内側に意識を向かわしめるのです。
あなたの内側には、尊いものが隠れているからです。
今は失ってしまったように感じるかもしれませんが尊いものは、確かに今も存在しています。
実は今もあなたの内側で光っているのです。
その光を見えなくしていたのは、誰あろう私たち自身だったのです。
磨くことです。
研くことです。
再び光り輝く人となれるように。
暖かい人になれますように。
人に笑顔を運べる人になれますように。
人に喜びを与えられる人になれますように。
誰かがあなたの心を磨いてくれるのではないのです。
頼っている人が、あなたの心を磨いてくれるのではないのです。
教祖が、あなたの心を拭いてくれる訳ではないのです。
自分の心を磨くのは、自分でしか出来ないのです。
楽をしてはいけません。
誰かに頼り過ぎてはいけないのです。
これって・・・当たり前の事でしたね・・・。
一人が基本です。
それがスタートラインなのです。
一人一人が自立した時、初めて共に手を取り合えるのです。
独立とは、手を結ぶための第一歩なのです。
その上で真の意味で互いに支え合うことができるのです。
この順序はとっても大事な事になります。
これは仕事内でも、家庭内でも、友人同士でも大事な事なのです。
誰かに頼り切っていては、絶対に自立など無理だからです。
ヴィジョン / Vision
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