ノンデュアリティ(非二元論)とは?

皆さんは、ノンデュアリティ(非二元論)という言葉を聞いたことがあるでしょうか?このノンデュアリティ(非二元論)という考え方は、真理に繋がるとても大切なものを内包しているのです。

そこで今日は、このノンデュアリティ(非二元論)という考え方を私なりに紹介して行きたいと思います。ノンデュアリティ(非二元論)とは一言で言うと、「この世界はすべて一つのエネルギーでできている」という考え方の事を言います。少々難しい表現もありますが出来るだけ分かり易く紹介していきたいと思います。

このノンデュアリティ(非二元論)の考え方の軸になるものは、主に下記の2つとなっています。
【世界の全ては一つのエネルギーである】
【現実は幻想である】

ノンデュアリティとは時間も、空間も、そして人類、動植物、物質の全て・・・それらすべてが、一つのエネルギーが形を変えて現れているだけである!という考え方なのです。全ては一つである!と言う考え方が、非二元論と言われる所以なのです。またノンデュアリティでは「人が出来事に対して感じる感情は幻想だ」という見方をしています。まるでシェイクスピアが言った様に、私たちの人生とは『一つの舞台の様なもの』という考え方にも通じるものがあるのです。ではここで、その2つの軸に関してもう少し分かりやすく説明していきたいと思います。

ノンデュアリティの軸1:【世界の全ては一つのエネルギーである】

ノンデュアリティの一つ目の軸は世界の全ては一つのエネルギーであるという考え方です。文字通り「一つである!」と言っているのです。人も物も動物も全て、突き詰めれば原子や分子からできており、そんな原子もすべて素粒子からできています。この素粒子は量子論にて「波動であり粒子てある」と定義されているものです。この世界の営みは、素粒子でできた原子や分子がそれぞれ、エネルギーによって変形したり移動したりすることで表現されています。これは科学的根拠とも一致する考え方であります。

また量子物理学者のデヴィッド・ボームはこの話を、宇宙を1つのカーペットの模様であるという言い方で表しました。この宇宙は模様が違うだけで、あくまでも同じ1つのカーペットに過ぎないというのです。ですからノンデュアリティでは善悪などの話は一切出てきません。一方が善で一方が悪であるという考え方こそ、善と悪という2つの世界が存在するという二元論だからです。あくまでこの世界は一つのエネルギーでできたものである、というのがノンデュアリティの考え方なのです。

そしてもっと突き詰めていくと、この世界は一つのエネルギーから始まったという事になります。つまり善も悪もない様に、あなたと私もないという事なのです。なぜならば「あなたと私も一つ」だからです。だから嫌いな人を攻撃した時に、自分の心も痛くなるのはこういう訳だったのです。元は一つなのですから、相手を攻撃する事は実は自分を攻撃していたという事なのです。


ノンデュアリティの軸2:【現実は幻想である】

ノンデュアリティの考え方のもう一つの軸は「現実は幻想である」というものです。私たちが体験しているこの世界は、実は私たちの心が映し出しているものである!というものです。人類のエゴが映し出したもの、つまり心が投影して出来上がった様に見えているものがこの世界だったのです。

よって世界を変えるのではなく、その投影している元の心を変える必要があるのです。映画の内容を変えたければ「スクリーンを変えるのではなくて、映画を映し出しているフィルムを交換しなければならない」というのと同じなのです。この世界を変えるのではなくて、この世界の捉え方を変えていく必要があるという事なのです。

この考え方は過去のいくつかの記事で紹介していますのでリンクを貼っておきますね。

※おまけ↓さんま師匠!の名言です(^_-)-☆

「この世界は夢である!」と言い切っている、さんま師匠。

「人生には嫌な事も必要なんや。この世に笑えないことはたくさんあるけど、それを笑えたら全部勝ちになる。 この世は夢やねん。頭の中が現実や。 そう思ったら少しは楽になる。あとは不幸をどれだけ笑いとばせるかや。」 明石家さんま

今回の記事は如何だったでしょうか?実はこのノンデュアリティ(非二元論)という考え方は、とっても深いものなのです。政治も経済も教育も、科学も宗教も全て、実は最後の最後にたどり着く場所!それがこのノンデュアリティ(非二元論)=一元論という世界であると私は確信しています。

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