私は死んでしまったのか?それとも夢を見ているのか?それほどまでに乖離した日常…。

私は死んでしまったのか?

それとも夢を見ているのか?

それほどまでに乖離した日常…。

これが今の私の正直な気持ちです。

というのも、余りにも違うからです…。

何が違うのか?と言うと・・・すべて!としか言いようがありません。

例えば、TVから流れて来る情報も、新聞も、ネット上のものも、世間の常識も…これはほぼほぼ嘘ばかりです。

つまり、作為的に作られ、コントロールされて出来上がったものだからです。

SNSが始まってからも残念ながら情報統制は未だに続いています。

歴史も、科学も、政治も、その殆どが嘘にまみれてしまっています。

よって私たち人類は、フェイクの海で溺れている様な状態なのです。

だから私は死んでしまったのか?と思うのです。

どうして、みんなは平気なのだろうか?と…。

それと、私は夢を見続けているのか?とも思ったりもします。

それも「悪夢」そのものを生きている様な感覚に陥ります。

どうして、みんなは何事も無いような顔をしていられるのだろうか?と…。

そんな気持ちにすらなるこの数年で、それが今も続いています。

私は本当にこの世に生きているのでしょうか?

物理学者の言うところの「ホログラム」の中を生きている様な感覚になる時があります。

私には到底理解ができないおかしなことが起こり続けているのに、みな平然としている!どうして?

まさしくリアル版「世にも奇妙な物語」です。

タモリさんの司会で始まるこの番組を、今、リアルに再現フィルムの様に生きている感覚なのです。

余りに世間の常識と、180度違う人生を送っている感覚なのです。

物事の考え方が違う、捉え方も違う、よって生き方自体がまるっきり違っているからです。

私がオカシイのでしょうか?そんな錯覚を起こす程のギャップがあるのです。

こんな感覚を味わっている方はいませんか?

世界は、この世界を意図的にコントロールしようとする人たちがいます。そしてコントロールされて来た歴史もあります。

しかし、それはもうネタバレで、ワンパターンなのに、どうして皆平気なのか?もしくは、気が付いていないの?

どうして何度も騙されるの?と思ってしまいます。

でもそんな悪夢の中に居たとしても、世界がどんな状態であったとしても、私は「人生はこう生きる!」という信念が自分を支えてくれています。

でも、みんな大事な事に興味もなさそうですし、何度も騙されているし、ましてや強固な信念を持って生きているようにも見えません…。

ここまで来ると、ある意味、もう笑うしかないような状態なのです。

決してバカにしているのではないのです。不思議でしょうがないのです…。

私は「悪い映画」を見ている様な感覚なのです。

それも「悪夢」を題材とした映画です。

それでも、それが映画だと分かれば、その映画をどう見るか?は私次第となります。

作為的な映画であろうと、その評価は観客に委ねられているからです。

ましてや、この世界を映し出している大元を知ってしまった者として、その映画の見方は全く違うものとなるからです。

この世界がフェイクであろうと、私は「本来の私を生きる」だけなのです。

その映画を映す「心のフィルム」を修正するだけなのです。

だからこそ、この悪夢の様な映画をどう見て、どう捉え、どう日々の生活を送るのか?は、私達一人一人にかかっているのです。

これが『人生のナビゲーションシステム』の秘密の鍵となる部分です。

日常に流されていては、勿体ないですよ。

大事な事に蓋をしたままでは、何一つ解決はしませんからね・・・。

世間を見るのではありません。

自分の心の状態を観る事が鍵となるからです。

ヴィジョン / Vision
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