トイレ掃除まで毎日やっているのに、なぜ??

トイレ掃除まで毎日やっているのに、なぜ??

最近、アカデミー参加者Aさんから懇親会の時にこんな質問を受けました。「私は、毎日トイレ掃除をしています。会社の掃除も社員が出社する前に済ませて綺麗にしています。それなのに・・・、それなのに・・・。」少しリラックスしてきたせいでしょうか?アカデミーも無事に受講し、緊張もほぐれたのでしょう・・・少し饒舌になってきました(笑)

そこで、ヴィジョンは聴きました。『それなのに・・・何?』と、優しく聴きました。すると、その方はこう言いました。(途中経過は省きますが要はこういう事でした)「毎日トイレ掃除も、床掃除も全部自分で一人でやっているのに、それなのに!ですよ・・・。良い事がないんです。良い事がないばかりか、不幸の連続なんです。えっ、まだ続くのその連鎖!?って感じで・・・止まらないんです。」

ヴィジョンはその方の心の声を聴いて、思わずこう思いました。『何か良い事を期待して、トイレ掃除をやっているの?』と。つまりトイレ掃除がしたくてやっているのではなく、良い事が起きる事を期待してのトイレ掃除ならば、そのトイレさんに口があったら何と言うでしょうか?きっとトイレさんはこう言うと思います。『そんなヨコシマな気持ちで掃除するなら、汚いままで良いです!』と・・・。

ヴィジョンがトイレならば、同じくきっとこう言うと思います。『もうトイレ掃除をしてくれなくて結構です』と。そんな下心丸見えの善行ほど、醜いものはありません。それではトイレを掃除する時の【自分の心も同時に掃除させていただく】様な、そんな【謙虚な心】は体感できないと思います。そんなご利益信仰トイレ掃除は、トイレの神様に失礼です(笑)。ヴィジョンがトイレの神様ならば、絶対にそんなトイレ掃除は善行とは認められませんよ(笑)

人間は傲慢な生き物です。自分で生きている様な顔を直ぐにする。自分では何一つ創ることが出来ないのに!です。体一つ人間には創る事は出来ません。心臓も無理、脳も無理で、空気もできません。土もできません。この地球もう一個も出来なくて、我々は生かされている存在なのに、直ぐに大きな顔をしてしまいます。何かを失くしてから、その尊さに気付くよりも、今、全てに感謝して生きたいと・・・そう心から思います。

Aさん、頭を下げて頑張りましょうね。謙虚に生きる事の原点に戻り、一つ一つ誠実にやらせて頂きましょう。神様は全てを観ていますから、それこそ大安心して進みましょう♪またお会い出来る事、心より楽しみにしています。トイレ掃除のつづきをお聞かせ下さいねm(__)m。

※このトイレの部分は人それぞれの心にあるサンプルであり、あなたの心の中に「○○をやっているのに!」とか、「○○してるのに、なんで自分ばっかり!」とか、置き換えてお読み下されば幸いです。

ヴィジョン / Vision
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