あなたは、自分のことが好きですか?嫌いですか?
☆ ☆ ☆
あなたは、自分のことが好きですか?嫌いですか?あなたは、どちらでしょうか?もしあなたが、自分のことが嫌いだとしたら、それはとっても悲しいことですよね。なぜ、自分のことが嫌いなのでしょうか?自分に自信がないからでしょうか?他の人が優れて見えるから?それとも、認められたことがないからでしょうか?それとも、誰かと比べて落ち込んだりしてはいませんか?
どんな理由にせよ、自分のことが嫌いだと生活に影響が出てしまいますよね。そんな気持ちでは前に進めなくなったり、仕事や勉強やすべき事がおろそかになったりしてしまいます。でも自分のことが嫌いだと自分自身を否定して、はたして幸せになれるでしょうか?どう考えても、幸せから離れていく様な状態になってしまいますよね。そして、そんな心の寂しさを誤魔化す様に次は「作り笑い」を憶えたりするわけなのです。すると益々自分の本音の心と、体や外見が分離して離れて行ってしまうわけなのです。これでは、心も体も健康とは言えません。
つまりこの自分のことが嫌いだという状態とは、自分のことを咎(とが)めている状態だからなのです。咎めるとは辞書を引くとこう書いています。
1 悪いことをしたと心を痛める。
2 傷やはれものをいじって悪くする。また、悪くなる。
3 過ちや罪・欠点などを取り上げて責める。非難する。
4 怪しんで問いただす。
咎めるとは、自分自身のことを咎めるだけでなく、相手のことを咎めることでもあるのです。他者を責めたり、相手の欠点を指摘したりする事です。つまりこれでは自分のことを愛せないだけでなくて、他者のことも愛せないのです。これで、どうやって幸せになれるというのでしょう?なかなかに、人間の心というものは手ごわいですよね(^_^;)
そこで、あなたに朗報です♪それは、あなたは「いつでも神様に愛されている」のです。いつでも神様はあなたを見守っています。今も、応援しています。そして、あなたが「あなたらしく」ある事を願っているのです。大きな愛で、あなたの全てを赦してくれているのです。だからあなたは、自分も他人も一切責める必要はないのです。咎める必要はないのです。自分をもっと労わってあげて下さいね。もっと、自分に優しくしてあげて下さいね(^_-)-☆
ヴィジョン / Vision
▼記事更新の応援クリックをお願いします▼
自分が好きと思えたことが無い、ということはどちらかといえば嫌いなのだろうと思いました。
「咎める」の意味を書いて頂いた中で、3の「過ちや罪・欠点を取り上げて責める。非難する。」とありましたが、本当にこの通りのことをやっていました。
自分で自分のことを嫌いって、いつも心が痛い感じです。
それに、自分だけでなく周りの人のことも同じように非難しているとは何て冷たくて寂しい生き方なのだろうと思いました。
それなのに「いつでも神様に愛されている」と言って頂いて、張り詰めていた心が緩んだような暖かい気持ちになりました。
神様が全てを赦して下さっているのに自分で自分をいじめるようなことをして、私は何をやっているのだろうと思いました。
自分を好きになれるように努力することから逃げていたのかもしれません。
もう自分を責めるのをやめられそうな気がします。
ありがとうございます。
私は自分の事が好きか嫌いか?と考えた時、
自分の事なのに、好き嫌いの基準が、
自分は人と比べてどうか?で左右されていると思いました。
人と比べて自分は劣っていると感じたら、自分が嫌いになって、
逆にあの人よりもましだと失礼にも思った時には、
鼻を高くしてみたり。
自分のことを咎めている状態がどういう状態かを書いて下さって、
どちらかというと、自分の事が嫌いなのかもしれません。
自分の事が嫌いなのに、目の前の人や周りの人を、
好きになれないと思いました。
自分の事を咎めている状態の時、
誰からも愛されない…と自分勝手にすねて寂しかったのかもしれません。
それでも「いつでも神様に愛さている」と思うと、
温かい気持ちで心が満たされました。
神様にいつでも愛してもらっている自分の事を、
もっと愛してあげて、優しく接します。
自分の事を好きか?嫌いか?
じっくりと考えたことはなかったのですが、
好きなところよりも嫌いなところの方が多いと思いました。
そして自分の嫌いなところを他人にも重ね合わせて、
互いを責める様なこともやっていました。
そして自分の嫌いなところは「いい加減」「嘘つき」「続かない」
「感情的になる」「強い者に弱い」など次々に浮かんで来るのですが、
自分の好きなところとなると!「やさしいところ」かな?と思い浮かんだ後に、
「優しくないじゃないか冷たいじゃないか!」と自分で突っ込んでしまう位に、
自分の好きなところが思い付かない悲しい状況でした。
今回「咎める」の意味を教えて頂きましたが、
今の私は「咎める」ことばかりやっている悲しい人間に思えて何か寂しい感じがしました。
それでも神様が何時でも見守って下さり応援して下さり愛して下さっていることを思えば、
自分の好きなところは?「やさしいところです。」と胸を張って言える様に、
「本当に優しさを身に付ければ良いじゃないか!」と言う気持ちになって来ました。
これからは自分の好きなところを大きくして相手を否定せずに生きたいと思いました。
「咎める」ことを止めて自分も他人も認め赦すことが出来る愛のある人を目指します。
ありがとうございます。
思い返しすと、私は自分の気持ちを素直に言わないあまのじゃくな子供で、周りに反発してしまう自分の事がとても嫌いでした。
今では反発するよりも、内に抱え込んで自分を責めて落ち込むことに嫌悪感を感じたりします。
そして、神様はいつでも見守っていてくれる存在でこんな私を赦していて下さるのだとお聴きして、神様の大きな大きな愛なのだと思うと何だか不安もなくなり少しずつでも自分を好きになれそうな気持ちになりました。
ありがとうございます。