この世界は「目的」ではない!

人生の目的

私は30年以上にわたって、この世界での「生きる目的」を探してきました。

20代で子供の頃からの夢が実現出来て、ある意味次の生きる意味を見失っていました。

そこで今度は個人的な目的ではなくて、大きな意味での「生きる目的」を模索し始めたのでした。

それは大きな大きなテーマでした。

しかしこの大きなテーマは既存の宗教団体では、残念ながら超える事は出来ないとも直観していました。

そこで沢山の人と出会い、沢山の本からも学び、日々模索を続けて来ました。

生きる目的と言っても、ミクロからマクロまで沢山あります。

ある意味、人は個々人の小さな個別目標はいつでも設定する事が出来ます。

例えば「お金持ちになりたい!」とか、「いい会社に入りたい」や「素敵な人と結婚したい」等は目標として簡単に持つ事は出来ますよね。

いわゆる「この世の成功を目指す」と呼ばれるものです。

しかしこの世で言うところの成功を収めたとしても、心に大きな穴が空いているのです。

これはどう表現して良いのか分かりませんが、確実に心に大きな穴が空いているのです。

こればかりは、自分の心の穴の事ですから自分で自分をごまかす事は出来ませんでした。

その穴を埋めようと世界中を旅してみたり、様々な会社を立ち上げてみた入り、いろいろなプロジェクトも手掛けて来ました。

しかし何をやっても、何にチャレンジしても大きな穴は埋まりませんでした・・・。

よって人間の「生きる目的」を模索する!というテーマに行き着いた訳だったのです。

これは本当に大きなテーマでした。

そこで、時には友人・仲間や家族と助け合ったりしながら答えを探していました。

時には、目標設定を細かくしてステップアップしてみたりもしました。

ステップアップ出来た時に何かが変わるでは?と期待もしていました。

しかし、それでも心に空いた大きな穴は塞がる事はありませんでした。

「これじゃない!」感がハンパないのです。

伝わっていますでしょうか?(伝わってくれていると嬉しいのですが…)

たとえ社会的な地位を得ても、お金を得ても、好きな事が出来ていても・・・。

何をやっても心の穴を埋める事は無理だったのです・・・。

つまり、この世で言う成功を目指して何にも意味が無かったのです。

極論かもしれませんが、大きな意味では無意味でした。

なぜならこの世界は「否定」で作られていますから、無価値な結果が生まれて来るのです。

これはハッキリと言えます。誤解のないように言いたいのですが・・・、

この世界で価値を置いているものに、大きな意味で「意味はありませんでした!」

大金を稼いだから何だって言うのでしょうか?

知名度が上がったから何だと言うのでしょうか?

この世界で価値を置いているものが無価値なだけでなく、負の遺産をも残すのです。

罪悪感だったり、空虚さだったりと。

「否定」を根本に持った世の中ですから、それは実は「狂気そのもの」なのです。

この様に「生きる意味」や「生きる目的」を模索していくと、必ず超えられないような壁にぶち当たってしまうのでした。

何をやっても堂々巡りだったのです。

一つの答えを見つけたと思ったら、もう一つの答えが手をすり抜けていくようでした。

真実にはなかなか出会えませんでした。

そこで根本的なことを考え始めます。

さて・・・本当の成功とは一体何なのだろうか?

この世に生まれて来た訳とは一体何なのだろうか?

そして、この世界で生きる目的とは一体何なのだろうか?と・・・。

しかし、ある日気づかせて頂いたのです!

この世界は「目的」ではないのだ!という事を。

私は「この世界に」生きる目的を探していました。

しかしこの世界に私が求めているものは、無かったのです。

しかしどこを探しても、何をしても、それはここにはありませんでした。

とんでもない結論に聞こえるかもしれませんが、私にとってもこの事は素晴らしい発見でした!

この世界に探し物は無かったという事に安堵したのでした。

あると思って探しても無くて、発見できなくて・・・でも実は無かったのです(^^♪

この世界の「否定」や「分離」や「自己主張」の行く末は悲しいかなその悲劇は体験済みだったからです。

この世界のどこを探しても見つかる筈はありませんでした。

この世界は「目的」ではないからでした。

この世界での出来事は目的ではなかったからです。

つまりどういう事かと言いますと、この世界での出来事は「手段」だったのです!

神の元から家出中の私達は、神の元に帰るという目的を果たすために今ここに居るのです。

つまり「実家に帰るという目的を果たすための手段」がこの世界だという事なのです。

この世界が目的だと思うから許せない事があるのです。

この世界が目的だと思うから、最後は絶望しかないのです。

真剣に生きれば生きる程、絶望するのがこの世界だったという訳だったのです。

ですからこの世界は「手段」として、「目的」を果たしたいと思います。

外を探すのではなくて、内を探す事によって!

本当の家に帰るための学びの場を手段として・・・。

愛と共に生きると言う学びの場が、この世界のカリキュラムだったのです。

やっぱり私達人類は「歌を忘れたカナリアならぬ、愛を忘れた人間たち」でした(^_-)-☆

ヴィジョン / Vision
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