相手に何かを期待する愛は、愛とは呼べない

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相手に何かを期待する愛は、愛とは呼べない。今回は少し過激なタイトルで始まりましたが、今日は人間の永遠のテーマとも言える、この「愛」というものの本質に迫って行きたいと思います。

人はよく「愛してる」とか「あなたは私を本当に愛しているの?」等と口にしたり、心で思ったりしますよね。口に出して言っても、心で思っても同じことです。でも相手に「私を愛しているのか?」と聞いている時点で、もう何かが間違っていると思いますし、もう終わっている様にも感じますよね。正直・・・。

私たちが一般的に口にする愛とは、一体どういうものなのでしょうか?その多くが「見返りを期待するもの」だったり「見返りを要求するもの」だったりはしないだろうか?愛と口にした、その心の奥にあるものの事です。

例えば「私はこんなに〇〇したのに、あの人といったら・・・」とか、「私はこんなに愛しているのに、裏切られた!」等という心の奥に横たわるものを見つめて欲しいのです。

そもそも愛にギブ&テイクなど、存在するでしょうか?本物の愛に、私はこれだけ愛したのだから、あなたも愛しなさいという等といった事があり得るだろうか?こんな駆け引きだらけの愛なんて存在するのでしょうか?

そもそも「見返りを要求するもの」が、愛であるはずがないのです。それは愛とは呼びません。愛という仮面をかぶった、わがまま。もしくは、エゴという名の愛もどき。当然、もどきですから愛ではありません(笑)

それでも私たちは本当の愛を求めているのだと思います。相手に要求など一切しない本物の愛を。愛とは相手に要求するものではなく、自分が表していく、表現していくものだと思うのです。全ては自分の心次第なのです。

ヴィジョン / Vision
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